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いっぺん死んでみるワークショップ②

昨日の「いっぺん死んでみるワークショップ①」の記事、たいへん多くの方に読んでいただいたみたいで、とてもうれしいです。ありがとうございます。

「死」についての話って、どうしても重くなりがちで、そして、日常ではタブー視されていることも多くて語りにくい。

でも、ほんとうはすごく、すごく、すごーーーーーーーーく大事。

ってことを、きっと感じているからこそ、読んでいただけたのかなとおもいます。

目次

大切なものを手放していく。

「死ぬ時には何も持っていけないよ」

という話はよく耳にする話で、お金もたくさん貯めていたって死ぬ時には持っていけないし、たくさんの洋服やコレクションを持っていたって、あの世で着ることなんてできない。

それでも、わたしたちは日々日常にこだわりをもち、たくさんのものを買い、大切だとおもっているものに囲まれて過ごしています。

このワークショップの中で、いくつかのカテゴリーにわけて、それぞれ5個ずつ書き出していきます。

朝起きて飲むコーヒーの豆、このマグカップで飲む、と決めているマグカップ、仕事ではこれを使うと決めているボールペン、ふとした瞬間に癒されるスマホの待ち受け画面。

パートナーがいる人はパートナーは必須で、入れて、それから大切なひとを挙げていきます。顔も見たくないレベルから、一緒に仕事したくないなっておもうくらいでもいい、好きではない人の名前も入れて。たいせつだと思うひとの名前も5人まで。じゃあ、誰を入れようか。

これまでの人生の中から忘れられない思い出をあげるとしたら? 楽しかったあの時間、思い出すと胸がちくっと痛むあのことば、あれがあったから今のじぶんがあると思えるあのできごと。

そんなふうに、わたしたちは生きてきた中で、いいことも悪いこともたくさんのひとやものやできごとに包まれて生きてきています。

でも、死んでいく時にはそれらをひとつひとつ手放していかなくちゃいけません。

「余命1年」と言われても、思うように体が動く時間は1年もありません。痛みやだるさで辛い時間があるかもしれません。そして徐々に体は動かなくなり、ごはんを食べることさえも辛くなっていきます。

いつかやりたいとおもっていたことは、あっさり消え、いつか会いたいとおもっていた人にも会いにいくことは難しくなります。

「大切な人です」と伝えているひとは、思いのほか手放すときには辛くなかった。

それはきっと、ちゃんと想いを伝えられているからこそなんだろうな、とおもいました。そんなふうに、ひとつひとつ、ひとりひとり、動けなくなるからだを感じながら手放していきます。

そして、最後の1枚に残ったものは「お母さん」でした。

それを手放したとき、重いとおもってきたあらゆるものが、すべては「愛」だったんだな、と理解することができました。

「一生懸命頑張らなければいけない」「完璧でなければいけない」「期待に応えなければいけない」などなどの重い鎧は、お母さんからの愛を感じていたが故にその期待に応えるべく長女として、お姉ちゃんとして、身につけてきたものだったんだと気づいたんです。

延命治療とは。

あなたが思う、「生きている」ってどんな状態ですか?

*。*。*。*。*。*。

延命治療って、なんでしょう?

歳をとって食事が食べられなくなった時、胃ろうや鼻からチューブを入れて栄養を入れるなどの処置を希望するかしないかの選択を家族に聞きます。

その時、「胃ろうは延命だってことも伝えて」と言われたことがあって、すごく違和感を感じてそれを伝えることはできませんでした。

本人が望むのなら胃ろうは延命治療とは言えないんじゃないか。

とはいえ、じゃあ、100歳の人が希望するなら胃ろうもアリなのか、というのもまた難しいところではありますが。

とにかく、延命治療と言われるものにもたくさんの種類があります。人工呼吸器、人工透析、などなど。

あなたが思う、「生きている」ってどんな状態ですか?

どんな状態だったら「自分は生きているとは言えない」と感じますか?

ご飯が食べられなくなったら?

排泄が自分でできなくなったら?

好きなものを楽しめなくなったら?

これ、人それぞれなんですよね。

本人の望みを叶えるための胃ろうは延命ではない。

上原暢子先生

これは、何かがひっくり返ったような感覚でした。

食べられなくなったら胃ろうか鼻からチューブか、何もしないか。

だけではなく、最初の5分で美味しいを叶えるために胃ろうを作り、最初の5分(それ以上は疲れてむせてしまうから)の美味しいを味わってもらう、ということもできる。

(それが施設でできるかどうかは別として)

そういう考え方もあるんだなと感動しました。

何を大切にして生きたいかを話しておくこと。

何を大切にして生きてきたいか、何をしていると生きてるって感じるのか。

それを普段から大切な人たちと話しておくことがすごく大切です。

で、胃ろうをするかしないか、鼻からチューブを入れるか入れないか、それを決めてくださいっていうことは、命の線を引くということ。

家族でも辛いのに、もしかしたら甥や嫁にその辛い選択をさせてしまうことになるかもしれません。

それを家族のみに決めてくださいっていうのではなく、こうしたらいいんじゃないですかと助言するでもなく、その人に関わるみんなで、考えていくことなんですよね。

みんなで考えて、納得がいく選択を探していくことが大事なんです。

そのためにもやっぱり、親とも、子供とも、周りの人とも、何を大切にしたいか、話し合っておくことが自分の納得のいく命の終わり方をするためにも大切です。

どこで、どんなふうに、どんな風を感じながら、最後の呼吸をしたいですか?

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