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命の線引きをさせないために。

すこし前、ずっと気になっていた「もしバナゲーム」というカードを購入しました。

この「もしバナゲーム」を、思いきって親とやってみました。

目次

もしバナゲームってなに?

もしバナゲームとは、iACPという団体が、米国発のカードゲームをもとに日本独自のルールを含めて作った、「人生の最期にどうありたいか?」を話し合ったり考えたりするためのカードゲームです。

中にはこんなふうに価値観の書かれたカードが入っています。

誰にでも訪れるはずの「死」は、誰もがじぶんに起こることだと考えない。

不調はあっても、今が元気で、これからも元気でいるだろうな、と、当たり前に明日がくると考えている。

でも、あたりまえのような顔をして、新しい今日をはじめられるのは奇跡だったんだと気がつくのは、明日が、1ヶ月後が、1年後があたりまえにくるわけじゃない、という現実がやってきた時なんです。

「もしバナゲーム」は、もしもの際に自分にとって大切な「価値観」と考えるアイテムとして米国発「Go Wish Game」というゲームを日本語に翻訳したもの。それをワークショップで使えるようにルールを考案したのが、亀田総合病院の先生方なんです。

自分の価値観を気軽に話し合えていると、人生の最終段階における納得感が変わる、と先生方はおっしゃいます。

身近な人ほど、大切な人ほど話し合うことが難しい、自分にとって大切にしたいこと。

それを話し合っておくことはとても大切なことだと思っています。

親ともしバナゲームをやってみた。

「最期、どこで死にたい?」

親とそんな話をしたことはありますか?

死について、パートナーや大切なひとと話し合ったことがありますか?

以前、どこで死にたいかを親と話したことがありました。

でもその時には、迷惑をかけたくないから病院がいい、とか、施設に入れてね、とか、結局はふんわりした程度の話と一般論に近いような内容の話しかできませんでした。

たぶん、じぶんごととして考えるところまではできなかったと思います。

今回、突然にですが、カードを出してルールを説明し、やってみました。

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もしバナカードは、5枚ずつカードを配り、場に5枚のカードを出し、残りのカードは伏せて山にしておきます。

順番にじぶんの手持ちのカードと場のカードを照らし合わせ、最期の段階で何を大切にしたいのかを考えます。

手持ちのカードがあることで、見比べながらどれを大切にしたいかな、と考えている様子は、少しでも自分ごととして考えているのかな、という印象はありました。

ただ、死について考えたこともなかった人が、突然これをするとカードに書かれてあることばが難しくてイメージがつかない様子でもありました。

「死生観を話せる」

というのも、「死生観って何?」って感じだろうし、

「私の価値観や優先順位を知る代弁者がいる」

というカードの示す意味は、人が亡くなっていく過程でどんなふうに変化していくのか、がんの末期ならどんな状況になるのか、を日常で見ることがない以上はイメージができない。だから、何を言っているのかがさっぱりわからない、ということになるんです。

もし意識がなくなっても、これ以上の処置はしてほしくない、ということを誰かに伝えておけば、望まない治療はされないで済む。そういうことは、じぶんが死ぬということについてリアルに考えたことがあるひとじゃないと出てこないし、そのカードの意味がわからずに選ぶことができないんです。

もしバナカード、意外と奥が深くて、ハードルが高い気がしました。

もう少し、勉強&研究しなくちゃ。

考えるきっかけにすることがたいせつ。

もしバナカードにも、価値観にも、絶対的な正解はないし、変わらない答えもない。

なにより、自分ごととして最期の時をどう過ごしたいかを考えるきっかけにすることがたいせつなんです。

死亡率100%

でも、ほとんどの人がじぶんが死ぬと思っていなくて、いつかは死ぬけど明日じゃない、くらいにしか思っていない。

あとは、認知症が進むと食事を食べなくなる、ということはもしかしたらあまり知られていないのかもしれない、とも思いました。

認知症って、徘徊したり、排泄物で遊んだり、ご飯を食べさせても「食べてない」と言い張ったり、とにかく大変なイメージ・・・・しかないのかも。

大変になったら施設に預けるから、その後どんな経過を辿っていくのかは直視しない。

「がんです」

と言われたら、その後のことはその時に考えればいいことだと思っているかもしれないけれど、

「認知症です」

と言われた時にはもう、その後のことはうまく整理ができない可能性の方が高いんです。

それに、認知症の方の意思決定とその意志の尊重って、現場ではその取り扱い方が難しい部分でもあります。

本人がそう言ったからって「本人の意思を尊重します」と簡単に言えないのが現実。だって判断能力が低下しているから認知症って診断されてるんですから。

そう考えると、元気なうちに考えて、伝えておくしか方法はないんです。

どんな最期を迎えたいか、じっくり考えて、残しておくこと、伝えておくこと、伝え合っておくことはきっとこれからすごく大切になると思っています。

大切なひとに、命の線引きをさせないために。

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