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自己肯定感が上がった?

「ラッキー。」

そのことばが出てきたのは意外でした。

あまり意識していなかったできごとを、ふと思い出したとき、もしかしてわたし、信用されてないのかもしれない、そう思ったのです。

ああ、そうか。

だから、◯◯さんいますか? と聞かれたんだ。

目次

じぶんの変化に気づく。

自分ではない別の人に聞きたかったはずのことを、いないからしょうがなく質問した、ということがありました。

あからさまに、聞きたくないのにしょうがない、という態度ではなかったけれど、聞かれた内容は、その人じゃなければわからないことではなかったんです。

時間がたって、ふとそのできごとが蘇ってきて、納得しました。

そうか、わたしを信用してないから、別の人に聞こうとしたんだ。

「ラッキー。」

実は、瞑想中に思い出したそのできごと、それを思い出したあとで出てきたことばが「ラッキー」だったのです。

ただでさえこのコロナ禍で感染委員会として主になって動かなくちゃいけないことが多くてやらなきゃいけないこともたくさんあります。

さらにその上、正看護師、というだけで降りかかる仕事がいくつもあります。

今は、もうひとりの正看護師さんがしてくれている仕事もありますが、それでもいない時にはわたしがしなくちゃいけないこともあったりして、かなり負担を感じていました。

そんな中、信用されてなくて質問されないってことは、その分仕事が振られなくていいや、とおもったのです。

たぶん、前のわたしなら、悔しい、と感じていたと思うんです。

ラッキー、そう思ったじぶんの変化にびっくりしました。

自己肯定感が上がった理由。

他の誰かに認めてもらわなくても、じぶんが認めているから悔しいとは思わないんですよね。

わからないことをわかったふりをしなかったし、方向性に迷った時に相談したりしていました。

ひとりで全てを決めることよりも、より正しそうな判断をするために相談した、というじぶんの中での過程があったことでもありました。

わからないことはわからない。

それでいいとおもうし、だから調べる。

背伸びすることも、知ったかぶりすることもしない。

経験してないこともわからないこともたくさんあります。

でも、そんな様子が頼りないと感じたのかもしれません。

他の人の感情は、わたしにはコントロールすることはできないので、等身大の自分でいることでそうおもわれたのなら、しょうがないな、とおもうんです。

どう思われようと、今のじぶんでいるしかないし、今のじぶんにできることをする。

良く思われるために大きく見せたり、いい人ぶったり、尊敬されるために何かをしたり、しなくてもいいんだ、とそんなことさえ思わなくなりました。

もちろん、全然思わないとかはないし、今でも心がちくちく痛むことも揺れることも、イラッとすることもあります。

でも、こんなふうに自己肯定感が上がってきたのは、ヨガを暮らしに取り入れるようになったからかな、と思うんです。

ヨガ哲学も、ヨガのプラクティスも、瞑想も。

ヨガでは感情を犬や馬に例えられます。

その犬や馬を観察しましょう、と教えられます。

ああイライラしているな、こう言われたことに傷ついたんだな。

あれ、なんか腹が立つな、ああそうか、こうされたことが悲しかったんだ。

そんなふうにじぶんの感情を観察するようになってくると、それだけで、じぶんがわかってもらえた感じが出てきて、落ち着いたりします。

「あーーーーイライラしている! もうー、なんであんなこと言われなきゃいけないんだ腹が立つーイライライライラ!」

と、イライラが続くことも、もちろんありますが。笑

それでも、無自覚にイライラしていた時に比べて、イライラしているじぶんに気づくことができるんです。

ビリギャル(「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」)を指導した坪田先生の著書「才能の正体」でも、

自分の実況中継ができるようになると、人はポジティブな方向へ思考が変わるようになる。

才能の正体/坪田信貴

と言われています。

じぶんの感情を実況中継するようになったことで、少しずつ変化してきたんだと思います。

ヨガをはじめてずいぶん楽になったと感じています。

ぜひヨガ哲学もヨガも、暮らしに取り入れてみてほしいなとおもいます。

ただ、昨年わたしが学んだぬん先生は今年は講座をしないようなので、今年は前回受けた講座の復習と、青木千草さんのヨガ哲学講座で、ヨガの学びを続けていきたいなと思っています。

まだまだ、きっと、もっとおもしろく、楽しくなるはず。

ヨガに出会えてよかったなっておもっています。

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