その一歩が難しくなってしまったんだよなぁ。
やりたいと思うことがあったとしても、叶えたいと思うことがあったとしても、うっ、と詰まってしまうなにかがある。
時間がない、とか、お金がかかるし、とか、お金かけた分どうにもならなかったらどうしよう、とか。
いいわけはいくらでもある。
今している仕事と生活でいっぱいいっぱいで、空いている時間はどこにもない。
やりたいことをやり始める、その一歩が重くて進まないんですよね。
書けって言われても、書けない。
久しぶりに読んだ、東村アキコさんの「かくかくしかじか」。
年月を経て、いろんな経験もして、感じるところは前に比べて増えていました。
絵画教室の恩師・日高先生は、徹頭徹尾「描け」と言う。
かつて通った文章教室の講師であった先生もまた、同じように「書け」と言っていました。
書けって言われても、書けないし。
当時、2000字の文章を書くことを課題とされていて、その教室に通う生徒にはもちろんのこと、スタッフに対しても、2000字の文章を毎日書くように話していました。
プロのライターである講師は、自分でさえ毎日5000字書いているんだから、せめて2000字くらい毎日書かないとモノにはならん、というのが持論でした。
「書けない・・・。書けないよぅ・・・」
そう言いながら、なんとか食らいついていたのも束の間、やっぱりそのうち脱落してしまったのでした。
それからしばらくして、日常をなんとかこなすことに一生懸命になりながらも、やっぱりやりたいことをやる人生を諦めたくない、そんな思いが湧いてきました。
でも、どうしたらいいのかわからない。
何から始めていいのかわからない。
やりたい思いはあるけど、どういう風に形にしていけばいいのかわからない。
思いついたことをとにかく始めることにしました。気になったことを学んでみる。気になった本を読んでみる。ブログを開設してみる。
どれも学校では習ってこなかった、初めてのことばかりです。
これでいいのか、この道でいいのか、迷いながら進むしかありません。
教科書には書いてない、生きたい人生を生きていく道の歩き方。
それでも進んでいるような気がしません。
そして、日常の中でやるべきことはたくさんあります。
朝起きて、用事を済ませて仕事に行って。
仕事でも、なんとか終わらせたいから、昼ごはんもかきこむようにして食べて仕事に戻り、そしてやっとのことで家に帰って気分転換したい、とSNSをぼーっと眺める。
休みの日には、体を休めることが最優先。
体を休めながらできることをして過ごす日々。
気がついたらやろうと思っていたことをそのまま放置して1ヶ月過ぎていた、なんてこともありました。
「描け」
「書け」
日高先生のことばと、文章教室の講師のことばが重なって聞こえる。
わたしの人生、このままでいいんだろうか。
やりたいなら、やるしかない。
どんな人生を生きたいか。
そんなのは、誰も文句は言わないし、どんな人生を生きたって自由です。
でも、最期のときに、なんて言いたいんだっけ? と問い直してみる。
「あーーーー楽しかった!」
って言って、この世を旅立ちたい。
この前、いっぺん死んでみたとき(「いっぺん死んでみるワークショップ」というのを受けた時)、思ったことは、
「まだここで死んでなんかいられない!」
ということでした。
まだやりかけの未来がある。
日常を生きることに必死になって誤魔化してきた、いろんなことに正面から向き合わなくちゃ。
誰のものでもない、自分の人生だから。
「やりたい」と、そう、未来のことをそう言うのは簡単だし気持ちがいい。
でも、本当に一歩を踏み出す時って、いろんな感情が湧いてくるんですよね。
でも、とにかく、やってみるしかないんです。
やって、やって、やりながら考える。
ダメだったなって思ったところは次にやり直したらいい。
そもそも、最初から完成形なんてあり得ないわけで、やってやって、やってみるしかない。
じぶんも含めて、何かを変えていくには行動していくしかないんです。
背中を蹴ってもらいたいときには、ぜひ、読んでみてほしい。
痛みも苦味もごちゃ混ぜになって、それらも全部一歩踏み出す力に変えてくれると思うから。
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