あれは中学生の頃のことでした。
文化祭の片づけのために校庭に集まってしゃがんでいた時に、校舎の方から流れてきたのがMr.childrenの「cross road」でした。
まわりの誰もMr.childrenを好きだというひとがいなかったにもかかわらず、その一瞬で心が持って行かれてしまったんです。
人の影響を受けることがほとんどだったように記憶している思春期のこの頃、自分だけの感覚で何かに魅了されたのは、この時が初めてだったような気がしています。
自分の文化を創ること。
スマホを開くと、アイコンにバッチがついていて、何かメッセージが来ていたり、何かしらのアクションがあったよ、とわたしたちに伝えてきます。
無意識にアプリを開いて、その要件を見ているうちに他の投稿を流れるように眺めていて、そのほとんどを無意識に眺めて過ごしたりしています。
「今やるべき行動3選!」
とか
「買わなきゃ損! ◯◯5選!」
とか
「2022年買ってよかったものランキング」
とか。
多くのものは、「ふーん」と流してみるけれど、少しでも意識を向けると、これはやっておかなくちゃいけない! とか、そこまで言うなら買いに行かなくちゃ! と焦りにも似た感覚を覚えてしまう。
少し前までは、昼間に見る情報番組なんかでも同じような感覚を感じていました。
お得なら買わなくちゃ。
これがあったら便利かも。
そんなふうに情報や、誰かの暮らし方に憧れたり取り残されないように追いかけたりすることはしょっちゅうありました。
なんなら、今でもあります。
わたしの中で、響いていることばがあります。
それは、
自分の文化を創ること。
モリー先生との火曜日/ミッチ・アルボム
「モリー先生との火曜日」という本のなかで、モリー先生が言ったことばです。
「モリー先生との火曜日」は、いわた書店さんの一万円選書で選書されていることが多くて気になっていて、入院中に読んだものです。
ALSという筋萎縮性側索硬化症という進行性の難病になった大学の先生であるモリー先生。
ミッチ・アルボムさんが、多忙な暮らしの中で、大学の時のモリー先生と再会し、死を前にしたモリー先生から人生について、死について、いろんなことを学んでいく、実話です。
その中で、いちばん心にささっていることばが、
「自分の文化を創ること」
と、言っていたことです。
「われわれのこの文化が人びとに満ち足りた気持ちを与えないっていうことがある。われわれはまちがったことを教えているんだよ。文化がろくな役に立たないんなら、そんなものいらないと言えるだけの強さを持たないといけない。自分の文化を創ること。多くの人はそれができない。私よりよっぽど不幸だよーーこんな状態の私より。
もうじき死ぬとは言っても、私のまわりには愛してくれる人、心配してくれる人がたくさんいる。世の中にそう言える人がどれだけいるか?」
モリー先生との火曜日/ミッチ・アルボム
すごいと言われている人の言うことが正しくて、じぶんもそう思っている。
ほんとうは、じぶんの頭で考えてなくて、誰かのことばや思考を鵜呑みにしてた。
そんなことに気がついたのも、この本を読んだことがきっかけとしてあったのかもしれません。
結局、しあわせって答えなんてなくて、正解もない。
じぶんが今、何を大切にしたくて、何をしているとしあわせを感じていて、誰と過ごしていたいのか、それをわかっているかどうか。
そして、それを行動に移せているかどうか。
それが大切なんです。
立ち止まる時間をつくる。
立ち止まる時間なんてない。
ないですよね。
だって、朝起きたら、朝食とお弁当の準備。それから仕事に行って、仕事が始まれば「ヨーイドン」でこなさなくちゃいけないタスクが山盛りで。
ひと息つく間もなく、家に帰ったら夕食の準備をしてお風呂に入って洗濯をして寝る。
どこにそんな時間があるの?!
ってわたしもおもいます。
でも、だからこそ、休みの日の予定の中に、立ち止まる時間をつくるようにしています。ひとりになれる時間をつくって、向き合うようにしています。
今は、朝起きてすぐのジャーナリングの時間がじぶんにとっての感情や思考の吐き出す時間になっています。
忙しい毎日の中では、じぶんが大切にしたいものを大切にできているかどうかを見失ってしまいます。
だから、立ち止まる時間をつくる。
気がついたら、時間なんてあっという間に過ぎてしまいます。
気がついた時にはタイムリミットが設定されている可能性だってあるんです。
忙しい。
こんなにやることがあるのに、自分と向き合う時間なんてとってる時間なんてない。
ソファには洗濯物の山がまだあるのに。
今だってやっと座ってコーヒーが飲めたのに。
これくらいの疲れなんていつもだから、大丈夫。
このくらいの足の浮腫みだって、浮腫んでるって言われるけど、昔からそうだし。
・・・そう思ってたそのむくみは、病気の症状だったんです。
そう、なるんです。
だから、ちゃんと立ち止まって、じぶんのこころとからだと対話する時間をもつ。
限られた時間。
何に命を、何に時間を使いたいか。
誰と一緒に過ごしたいか。
じぶんにとって何が大切なのか。
ぶれてもいい、揺れてもいいから、自分に戻ってくる時間を大切にしてほしいと思うし、大切にしていきたいと思っています。
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