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「ラーゲリより愛を込めて」

「鉄は熱いうちに打て」というように「感動は冷めないうちに書け」は鉄則だと思うので、感想系の記事が続きますが、ご了承ください。

「すずめの戸締まり」の映画の前の宣伝で観て以来、気になっていた「ラーゲリより愛を込めて」、公開初日に観てきました。

初日に観ようと意気込んだわけではなく、たまたま休みの日と、出かける予定と重なって観ることができました。

でも、公開初日のことなので、内容には触れません。

目次

映画を観て、じぶんの中の青い鳥を大切にすることを知った

「価値観がちがうな」

そうおもうことはよくある。

正直なところ、実家に帰ってきてからのほうがそれは強く感じている。

価値観なんて、そもそもみんなちがうんだから、そんなものはあたりまえなんだけど、それ以上に「みんなおなじでいることが当たり前」という感覚のひとの割合で、生きやすさや暮らしやすさは変わってくるとおもう。

新しい世界に出会うことが好きで、なんならそれが生きがいかもしれない。

仕事仲間と、興味のある対象がちがうことはよくあって、当時もおなじことばかりグチっている空気に嫌気がさしたこともあります。

でも、基本的に「ひとはひと、じぶんはじぶん」という世界の持ち主が多く、じぶんの世界はあえて守ろうとしなくても、そのままでいることができていました。

でも、「みんなおなじでいることが当たり前」という感覚のひとが多いと、ひととは違うことをしていたり興味の対象がちがったりしていると、おかしいみたいな視線を感じることもあります。

というか、うれしいことやたのしいことを分かち合えない。

ぜんぶがぜんぶぴったりくるひとなんていないし、似ているような世界の持ち主でも、この部分は違うなって感じることもあるし、そんな感じかたするんだって思うこともあって。

それって、ふつうだしちがう部分はそれでいいなって思って、共感し合える部分で繋がることが多いです。

でも、リアルの日常の中でちがう価値観のひとが多いと、やっぱりじぶんが信じたいことを曲げたくなることもある。

それも正しいような気がする。

そうかやっぱりそうした方がいいのかな。

こっちに行きたいような気がするけれど、それはやめた方がいいのかな。

そんなふうに、じぶんの信じる道と世界との妥協点を探そうとすることも、まあまあよくある。

でも、囚われなくていいんだ。

いちばん大切なこと、それは生きていくことと、それに伴うたいせつなこと、これを間違えなければ、信じるものは自由であっていい。

誰がなんて言ったって、わたしが信じるものはこれなんだ、

そうおもうものは、曲げる必要なんてないし、捨てる必要なんてない。

それでいいんだよ。

どんなものにもこころの中は侵すことができないんだっていう強さと、開かれた世界が広がっている開放感で全身が震えるほど感動しました。

たいせつなものは、記憶の中にある。

「ああ、ものがなくても、ちゃんとあるんだな」

もの、と、ものにくっついたこころを手放しているからか、そんなふうにも感じました。

ものがなにかの証のように感じてしまうこともあるけれど、たいせつなものはちゃんと覚えていて、証として残しておかなくてもちゃんと人生を支えてくれるんだなって。

「どんなものにもちゃんと役割があって、支えあって生きているんだな」

もう20年近く前に西表島を旅した時、ピナイサーラの滝に行く途中かなんかの森の中をトレッキングしているとき、都会では駆除の対象とされているシロアリにも自然界の中では役割があるんだと聞いて、なるほど、と深く感動したんです。

それを含めて、そのときの思い出をスクラップブッキングにして残しておいたのですが、それを開かなくてもちゃんと覚えてる。

ちゃんと、ふとした瞬間に、みんなそれぞれに役割があって支えあって生きてるんだってこと、思い出せるようになっている。

物として確かめなくたって、大切なことはちゃんと覚えてるんです。

生きろ。

希望の光が消えてしまった時に強く強く伝えられていたメッセージは、戦争中でも戦争が遠いものに感じられるようになった今でも心に突き刺さってきます。

戦争を生き抜いてきたひとたちから話を聞くことはほとんどなくなりました。

というか、そういう世代と関わってこなかった(早くに祖父母が亡くなっている)ので、直接聞くことができなかったけど、こうやって暮らしていること、生きていられることは尊いことなんですよね。

日常に、忙殺されて、馬車馬のようにまいにちをただただ生きて、みたいにしていると、この日常の尊さなんてすっかり忘れてしまうけど、こうやってエンターテイメントの中で教えてもらえることはとてもとても貴重な経験だとおもうんです。

まだまだ、からだの細胞が感動で震えているかんじはありますが、その震えを大切に、とんでもなく尊い日常を生きていこうとおもうのでした。

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