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どう生きてきたか。

「家族に来てもらってください」

同じ部屋の患者さんが先生からそう言われているのが聞こえました。

治療しなくてもいいのに。

その患者さんは、80代のおばあちゃんで、どこかに癌が見つかったらしかったけど、もう治療は希望していませんでした。

でも家族の希望もあって治療することになり、治療を始めるにあたって先生が話をしておきたい、というのでした。

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入院中に出会った2人のおばあちゃん

SLEで入院している時、1か月半というけっこう長い間入院していたのでその間に何人もの人とおなじ部屋になり、いろんな人と、直接話したり話さなかったりはあったけど、出会いがありました。

その中で、2人の対照的なおばあちゃんとの出会いは、考えかたの違いがあるんだなぁっていうことを改めて感じさせられて、興味深かったです。

そのうちの一人が今のおばあちゃんです。

80代のおばあちゃんで、子どもは東京に住んでいて夫は早くに亡くなったそう。自分はもうホスピスだったか、施設だったかを予約しているから、がんになったけどここまで生きてこれたんだからもう治療は望まないんだけど、という話でした。

たしか1回目の抗がん剤のために入院してきたような感じだったと記憶しています。

持病があって、抗がん剤の治療を開始するにあたって、何かあったらいけないからそれも含めて家族に話がしたいから、病院に来てほしい、というようなことを先生が話しているのがカーテン越しに聞こえました。

ほんとうは治療したくないのに、自分の意思に反してさせられてるんだな、という印象でした。でも、ご本人はしっかり歩いて暮らしているし、認知症でもなく会話もしっかり成立します。

だから、「家族の意思を汲んで」治療を受けることにしたんだな、と思ったんです。

でも、本当はしたくない、という空気がすごく伝わってきて複雑なきもちになったのを覚えています。

遠くに離れている子どもの立場からしたら、治療していつまでも生きていてほしい、そう願うのは当然かもしれないですよね。

でも、確か病院に来られたお子さんは先生の話を聞くのに待たされることに対してかなり迷惑そうに話されていたような感じだったと思います。

「治療はしてほしいけど、時間を取られるのは困る」

そんな印象を受けたので、余計に複雑な気持ちになりました。

一方、隣のベッドの入院されていたのはある癌の手術をした後にさらに食道癌が見つかって、治療が落ち着いたら次はその食道癌の治療をしていく、という段階の80代のおばあちゃん。

このおばあちゃんは80代とはいえこの方もまたとても元気で前向き。

「親にもらった体なんだから生きられるところまでがんばって生きなくちゃね」

と話していたのが印象的でした。

水戸黄門が大好きで、水戸黄門の主題歌の

人生楽ありゃ苦もあるさ
涙のあとには虹も出る
歩いてゆくんだしっかりと
自分の道をふみしめて

水戸黄門 主題歌

「涙のあとには虹も出る」

のところが好きなのー、と話されていたのをすごく覚えています。

辛くても、最期まで生き切りたい、そういう信念があったように感じています。だって、80代でがんの治療をして、その後さらにもう一つの癌に立ち向かおうとしているんですもん。

そのちからは、ほんとうに強いと思います。

じぶんのいのちとは?

前者のおばあちゃんは、生きてきたじぶんの人生を想い、そして独り身になっている自分のこの後の人生まで見据えて、施設入居の手配(ホスピスと言われていたような気もしますが)まで済ませていました。

じゅうぶんに生きてきた。

これからは辛い思いはなるべくせずに生きていきたい。

そんな思いが伺えます。

後者のおばあちゃんは、じぶんのいのちを「与えられたもの」として考えているんだと想像します。

できることをして、生き切ることが与えてもらったいのちへの、いのちを与えてくれた両親への恩返しだと考えているんだろうなと推測できます。

どちらもまちがいじゃないですよね。

そもそも、死生観にも価値観にもまちがいなんてない。

どんな選択肢もあっていい。

・・・ということを、医療従事者も介護従事者も、知っておかなきゃいけないと思うんです。

仕事として関わるとしても、ベースにあるのはじぶんの死生観。

「年を取ったら治療せずに自然に命を閉じていくのが当たり前」

そう思っていたら、治療を望む人を否定してしまうようになりますよね。あからさまに直接は言わないまでも、態度として出てしまうこともあります。

休憩室やナースステーションみたいなところで苦笑いとして出ることも。

でも、どんな選択肢だって本当は間違ってないんです。

ただ、治療自体はリスクもあるから、それを選ぶ方が死に近づくこともある、ということも知った上でにもなるし、そのリスクが高すぎたり治療効果が見られない可能性が高かったりすると、対象外になることもあります。

どう生きてきたか?

「どう生きていきたいか?」

と聞かれたら、きっと「後悔せずに生きたい」って言う人は多いと思います。

でも、実際に判断に迫られる時、その土台になるものって、

それまでの人生を、どう生きてきたか?

だとも思うんです。

そこにどんな信念で生きてきたのか。

何を大事にして生きてきたのか。

何を大事にしないで生きてきてしまったのか。

仕事ばかりして家族を大切にしないで生きてきてしまったのか。

人の目線ばかり気にしてじぶんのきもちを大事にせずに生きてきたのか。

残された時間の、扉が見えた時、どう感じるでしょうか。

その時にもがきうろたえるんじゃなく、今この瞬間から、どう生きているのか、じぶんに問い直しておくことも必要なのかもしれません。

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