ひさしぶりの感覚でした。
寝返りをうってうつ伏せになったとき、お腹が垂れ下がっている感覚とともに、暗闇から罪悪感がからだの中に流れこんできました。
昨日食べたものが、おなかの中にまだ残っている感覚。
昨日はあきらかに食べすぎた。
ああ、絶対にそうだ。
だって、職場でもらっていたお菓子も食べたし、夜ご飯のあとに賞味期限が近づいている業務用スーパーのレアチーズケーキをひとかけら食べた。
隠しておきたいけれど、寝る前にピープルツリーのチョコレートを2カケ食べた。
ほんとうに体が疲れていて、帰ってからお弁当箱を洗っている間にも眠ってしまえるほどの疲れだったんです。
だから、そんながんばった1日のごほうびに、大好きなチョコレートをひとくち食べたんです。黒糖ベースのミルクチョコレートは、口の中で溶けて黒糖の甘さとほんのわずかな黒糖のクセがたまらなくて癒されるんです。
そう。
あきらかに食べすぎたんです。
生活習慣病を放っておくひとに腹が立つ!
はたらく場所が変わると、まわりを取り巻くひとたちの年齢層も変わり、「高血圧が・・・」とか「糖尿病が・・・」という話を聞くことも多くなりました。
不規則勤務で、運動する時間が作れないのはよくわかるけど、生活習慣病って生活習慣を変えれば防げるし改善だってできるもの。
生活習慣病って言われたのに「運動できないんだよね」と言っているひとに、こころの中でこっそりイラッとしていました。
SLE(全身性エリテマトーデス)になって半年くらいの間は、ものすごく厳格な食事制限をしていました。
薬の副作用でカリウムが高くなった状態で退院が決まり、カリウム制限食を徹底。その上、ループス腎炎にもなっていたので、血圧管理のためと腎臓を労わるために塩分制限食、塩分1日2gを計算しながら食事をしていたんです。
最初は特に、何をどれくらい食べていいのかもわからず、はじめての病気とその暮らしに家族みんなが慣れていなくて、口に入れるこの食べ物が体にとっていいものなのか悪いものなのかわからない・・・と思いながら食べることもありました。
今も、味噌汁をつくる時には塩分計を使って塩分濃度を測って作っていますし、ご飯も計量して食べています。
なにしろSLEは、原因不明、治療方法もない。「治る」ということがない、「指定難病」なんです。
どうやったって、じぶんの努力じゃ治しようがないものを抱えてしまったわたしに比べたら、生活習慣を改善すれば治るのに! と嫉妬からくる怒りみたいなものを感じてしまうんですよね。
でも、です。
そうはいってもそう簡単に変わらないのが人間でもあります。
食べるということ
カロリー制限もしていた当時に比べて、今はお菓子もふつうに食べてしまう。
当時は外食で食べることさえも、怖くてたまらなかったのが、今はなんとも思いません。
まあ、毎食じゃなければいいし、制限食をしていたとしても、1週間で調整すればいいということも制限食を経験する中でわかってきたことでもあるからです。
でも、一度緩めた生活はなかなか元には戻らないんですよね。
生活習慣が簡単には変えられないことも、リアルに体感している最中でもあります。そりゃそうですよね。
そしていつの間にか食べることへのハードルが下がってしまったんです。
賞味期限が近いから食べる。
残っているから食べる。
もらったから食べる。
もったいないから食べることもあるし、空気を読んで食べることもある。
厳格に食事制限をしていた時には、「ほんとうに食べたいものを食べよう」と決めていた、食べものに対するハードルも、食べる理由がじぶんの中にはないものが増えてしまいました。
そういう「ほんとうに食べたい」と思っていないものを食べるってことは、じぶんに優しくない。
そしてその怖いところは、そういう「じぶんに優しくない行為」をしてしまうことに慣れてしまうことなんですよね。
そしてそれを続けてしまう。
こころもからだも軽やかに生きていくために
朝起きて、胃の重さを感じてしまって、体重計に乗ると案の定いつもより重い。
そりゃそうだよな、と思いつつも、食べすぎてしまったことへの罪悪感は拭いきれません。
以前ならそのまま、自己嫌悪モード、自分責めモードになっていたのですが、今はそれはしなくなりました。
ただ、やっぱりからだが重いと、こころも重くなってしまう。
からだが重いと動きも鈍くなってしまう。これは今すぐに動けるレベルのことだけじゃなくて未来に向けての行動も含めて、です。
軽やかに生きていくために、からだもこころも軽くしておきたい。
少し空腹の時間をもつようにしよう、とちいさな決意を固めるのでした。
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