「やばいっ! 1日1捨できてない! でももう時間がない、行かなくちゃーーーー」
気がついたら、100日チャレンジとして1日1捨をするはずが、朝の時間を慌ただしく過ごし、あっという間に家を出る時間。
断捨離の報告も上がっている中で、できてないけど時間がないーと心の中で叫びながらすぎていく日々が続いています。
でも、ついに12月に突入しました。
泣いても笑ってもあと1か月。
なんて、こんなことば、受験以来発した気がします。
・・・という、こんな今日は12月2日。もう2日目に入っているのです。
でも。
最近、「ウチ、断捨離しました!」の番組をTverやテレビで見るんですが、この番組を見ていると、やましたひでこさんが訪問してから1か月は、じぶんで断捨離していくんですよね。
ということは。
\\ 1か月あれば、断捨離できる!! //
100日チャレンジの最終日、12月31日に向けて、断捨離していこう!!
と、心新たにおもうわけです。
ゴールを思い描く。
さて。
やましたひでこさんは、最初に訪問した時にいつも「どうなりたい?」と聞くんですよね。
話をしていて、断捨離の目標というかどうなりたくて断捨離に取り組もうとしているのかを聞き出します。
最初は、目標なんて曖昧だった依頼者の方でも、断捨離を進めていくうちにどうなりたいのか、在りたいじぶんの姿がはっきりと見えてきて、断捨離が終わった頃にはなりたいじぶんになれているんです。
たとえば、子育てで着たい服が汚れてしまうから着れない、と服を溜め込んでいたお母さんも、汚れてもいいから着たい服が着たい、というじぶんの本音に気がついて、じぶんの着たい服を着て公園に遊びにいくようになっていました。
ある程度は断捨離を続けてきて、だいぶスッキリした・・・かのように見える部屋ですが、今に満足か? と言われると、まだ、もやもやしている部分はあります。
でも、< 部分 >じゃなくて、< どうなりたいか? >を描いてみることにしました。
ずっと思ってはいることですが、シンプルに暮らしたい。
シンプルなものが好きで、シンプルに暮らしたい、とおもっています。
じゃあ、シンプルってなに?
わたしがおもう< シンプル >は、空間に余白があって、お気に入りのものに囲まれている部屋。
そして、(ここからが重要!)頭の中がスッキリしていて、焦っていない。ひといきつく余裕もある。
そんな暮らしがしたい。
そう、部屋っていう物質的な問題だけじゃなくて、その先にある得たいものは、スッキリした頭、整理された頭で、今を味わいながら暮らしていたい、ということだったんですよね。
そのためには、積読の整理、かな。(わお・・・)
この間の休みの時に、少し本を読む時間がとれて積読が解消されたら、読みたい本が読めたっていう満たされた気持ちと、読みたいのに読めていない本がある・・・という追われるきもちから解放された爽快感で、とてもしあわせな気持ちで満たされました。
そして、使っていないものは、捨てる。(当たり前か)
ものを出しっぱなしにしておくことがだいぶ減ったので、出しっぱなしにしない暮らし方ができるようにしていきたいです。(レベルが低い・・・苦笑)
もう一度、自分軸でものと向き合ってみる。
じぶんの周りにあるものが、投影であることは分かったけれど、その上で、「物軸」じゃなくて「自分軸」でものと向き合ってみる、ってことをしようと思います。
やっぱり、使えるものを捨てるのはもったいない。
まだ使えるのに、使い方次第なのに。
こういう時に使えるかもしれない。
そういうものが、まだ、ある。
ちゃんと分かってるんです。
捨てようかな、と一瞬迷ったけど、こういうことをする時に使えるから、置いておこう、と残してしまったものがあることを。
自分軸で捨てることって、心が痛みますよね。
でも、誰かのようになろうとして買ったもの、同じような状況で使えるかも、と思ったけど、わたしにとってはそういう方法で使っていない、っていうことが事実だから、それを受け入れて、手放していこうと思います。
誰かになろうとしてもなれない。
わたしは、じぶんにあう方法で、前に進んでいくしかないんです。
ゴールは、あたらしい1年のはじまりだから
そう、なんといっても、今回の100日チャレンジのすごいところは、ゴールが12月31日という、2022年の終わりということ。
つまり、あたらしい1年に向けてのはじまりというところなんです。
そんなタイミングでイベントを立ち上げてくれた主催者の方に感謝しかありません。
100日チャレンジをしていなくて、誰にとっても平等にある2022年に残された時間。
それがあと1か月、です。
あと1か月。
あたらしい2023年がやってきた時に、歩き出すために、残された後1か月をどう過ごしますか?
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