「こぼしんなよ(こぼさないようにね)」
近くで声が聞こえる。
小さなスプーンに汁物か何かをすくい、そっと口元に運ぶ。
畳の上で、寝ているひいおばあちゃんは、それをそっと飲み込んだのです。
なんとなく覚えているのは、2、3歳の頃の記憶です。
おばあちゃんの家の仏壇の前の畳の上で、ひいおばあちゃんが横になっていて、そのひいおばあちゃんの口元にスプーンで運んだのを覚えています。
その後、ひいおばあちゃんは家で亡くなったと聞いていますが、そのあたりのことは覚えていません。
亡くなりゆく人は遺される人に贈り物をする、と言われますが、この記憶もわたしにとっては原点のようなあたたい記憶として残っています。
移植をして、生きようとしていた患者さん。
看護師になって最初の職場は、血液内科・呼吸器内科の混合病棟でした。
そこでは、移植も行われていたので、比較的患者さんの年齢層は若い方が多かったです。30代〜50代のまだまだ働きざかりの時期に病気を告げられて、治療のために入院している方が多かったです。
今でも覚えているのがNさんという悪性リンパ腫の患者さんです。
悪性リンパ腫の化学療法の治療をいくつかして、そして移植に臨んだ男性の方でした。
新人のわたしたちは、移植に関わることはありませんでしたが、それまでの化学療法の時期には関わることはありました。
血液内科の患者さんは、寛解導入と言って「治癒」とは言いませんが「寛解」というある程度良くなった状態に落ち着くまでの化学療法を何クールかする、というのが治療の流れになっています。
その治療のたびに入院されるので、わたしたち看護師ともだんだん顔見知りになっていきます。
熱や血圧を測るだけじゃなく、雑談なんかもするようになって信頼関係もできていったりします。
もちろん合わない患者さんもいますが、人によっては仲良く話せるようになる方もいらっしゃいます。
Nさんは、患者と看護師、という距離感は保ちつつも心の距離は近く話せるような患者さんでした。
そのNさんが、年末、移植をすることになりました。
移植をする時には、化学療法をするのですごく感染しやすい状態になります。よくテレビでも見るような、無菌室で過ごすことになるんです。
移植当日には、新人のわたしたちは関わりませんが、夜勤などでは熱や血圧測定などで入ったりはします。
その日は、新人2人と先輩1人の夜勤体制でした。
朝、日勤で出勤すると、NさんがICUに降りたと聞きました。明け方、意識がなくなっていて、脳出血を起こしていたということでした。それを発見したのが同期の看護師だったので、その話を聞いたことをすごく覚えています。
その後、ICUで治療されましたが、Nさんは帰らぬ人となりました。
生きるために治療をしたのに、その治療を乗り越えられずに、生きることができなかったんです。
患者と看護師以上の関係でも感情もありませんでしたが、それでも信頼関係もできていたし、今でも心に残っているほど悲しくて辛い出来事でした。
残されたわたしたちがいただいた贈りもの
亡くなる人は残される人に贈りものをすると言われています。
この本の中でも言われていますが、亡くなる人はいろんな形で遺される人に贈り物をします。
ひいおばあちゃんにもらったものは、ほんのわずかな時間ではあったけどあのあたたかい繋がりと時間。
あれはわたしの原体験として、強く残っているんだとおもいます。
見つかった時には肺がんの末期だった、祖父。
祖父との時間を通して、母はホスピスの存在を知り、告知について考えたと言います。
それがきっかけでホスピスやターミナルケアをしたいと思うようになったのは、わたしにとって祖父からの最大のプレゼントだったとおもっています。
そして、Nさん。
じぶんの健康や命や時間をないがしろにしている人を見ると、Nさんのことを思い出さずにはいられません。
わたしたちの生きている今は、生きたいと願ったけれども生きられなかった時間なんです。
いつまでも元気で永遠に生きていられるわけじゃない。
時間が有限だなんて、知ってはいてもじぶんの身に、親の身に、パートナーの身に、それが今、明日、起こるかもしれないなんて1ミリも感じはしないんですよね。
それは、ある意味幸福なことだとは思うけど、もったいないし、悲しいともおもいます。
仕事をしていても、やっつけの仕事をしている人を見ると、どうしようもなく無駄な時間を過ごさないでほしいなっておもってしまうんです。
やっつけの仕事って明らかにわかりますよね。
そこのじぶんの時間=命を投資しているのに、その時間を適当に使っている、ただの消費にしか使っていないって、もったいないなっておもうんです。
やっつけで適当にした仕事の結果なんて、出るわけないし、じぶんにとっての成長もない。
そんな命の使い方をするなんてほんとうにもったいない。
仕事に対する考え方は人それぞれだから、それは仕方のないことではあるんですが、そういうほんの少しの命の使い方が、じぶんの命の使い方につながっているような気はしています。
生きたい人が生きられなかった時間を生きている。
わたしたちが生きているのは、
生きたいと願った人が生きられなかった時間でもあるんです。
それを、どうかどうか、大切に生きてほしいな、とおもうんです。
命の使い方は自由ですが、あなたがあなたを大切にしてくれることを願っています。
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