「ねえ、どうやってそういうひとたちとつながってるの?」
突然のことに、何を聞かれているのかわからなくてしばらく頭の中で回想してみました。
カラフルなともだち
前に所属していたオンラインコミュニティで出会ったともだちと、ひさしぶりに会ったときに、そんなふうに聞かれました。
じぶんのやりたいことを仕事にしているふたりと話せて、わたしとしてはなりたい未来がそこにあるのがうれしくてたまりませんでした。
まだ駆け出しで、今はそれだけでは食べていけないから、と他の仕事もしているようだったけど、でも、歩き出しているってことはそれが仕事になるってことだから、すごくきらきらしているように感じたんです。
写真が趣味で、でも、写真を仕事にしていきたい、と石川県から福岡に移住してきたひとがいて、そのひとのことは、ずいぶん前にカメラピープルという写真のコミュニティだったか何かで知っていて、密かにファンだったんです。
このひとの写真好きだ、とおもっていて。
それが、福岡にわたしが引っ越ししたタイミングで、移住していることを知って。
写真の展示のときにお会いすることができて、写真を仕事にしていきたいっていう話を聞いていたんです。
当時は建築関係の撮影の仕事をしていると話されていて、少しずつ、動物園のパンフレットの撮影をしたりしている活動も見聞きしていました。
そんなふうにして地道に活動をしていったそのひとが、今では有名で憧れの雑誌の写真を撮影するくらいになっているんです!!!
すごいですよね!
そのひと、キヨシマシンさんのインスタグラムはこちら。
キヨシマシンさんも、写真を仕事にしたい、とはじめたのは5、6年前くらいかな。話を聞いたのがそれくらいで、もう少し前から活動していたのかもしれません。
でもそうやって、地道に活動してきたことで、こんなふうにお仕事もされていて、そして、今ではご自分の写真スタジオも持って活動されてるんです。
やっぱりコツコツ、続けることが大切なんだなっておもうんです。
それから、習慣を変えてきた話。
CITTA手帳を通して、朝活をしているひとたちとつながり、同じような生活リズムのひとたちとつながっていると、講座を受けたりしてもそんなに遅い時間には開催されないことが多いんですよね。
そういう話の流れの中で、どうやってそんなふうにつながっているのか、という話になったんです。
SNSは世界とつながる扉
半径5メートルの暮らしのなかに、価値観があうひとがいない。
実家で暮らし始めてからは、強烈に感じるようになっていました。ひとり暮らしの頃は、仕事や習い事などでつながりが広がりやすくて、そんなふうに感じることはあまりなかったような気がしています。
でも、実家に帰ってからは、車で5分の職場に行っても、ミスチルのライブに遠征に行くひとなんていないし、趣味の習いごとをしているようなひとも(そもそもそんな習い事に行くような場所もない)いない。
港町には、帰りに寄る本屋さんもスーパーもなければカフェなんてあるはずもなく。
家と職場の往復のまいにちで、地元のひととしか話すこともなく、じぶんがテンションが上がる話題で盛り上がることのない日々でした。
あたらしい世界を見たり聞いたりして取り入れていくことが好きなわたしが、今あるこの暮らしの常識を守ることが大切な世界を心地よいと感じるはずもなく、合うはずもありませんでした。
そんな中、そろそろ前に進みたい、現実を変えていきたい、とたどり着いたのが昨年受けた「魔法のランプ」というコーチング講座でした。
そもそも、会いたいひとには会いにいくタイプだったので、行ったりはしていましたが、「魔法のランプ」以降、立ち止まり気味だった暮らしのなかで、行きたいもの会いたい人に会いに行こう、やりたいことを探しに行こう、と行動が加速していったような気はしています。
そんなふうにして、気になったひととコメントでやりとりをしたり、講座などをきっかけにつながりができたり、ちょっとしたきっかけで少しずつつながりが増えていきました。
その結果、カラフルな人間関係ができているような気がしています。
好きや痛みや価値観でつながりをつくる
会いたいひとに、会いにいく。
これはわたしのポリシーというか、会いに行こうとおもって生きています。
だって、実際に会ってみないとそのひとのほんとうがわからないし、きっと繕おうとおもえばいくらだって繕えるとおもうから、このSNS時代、インターネット時代においては会ってみるって大事だとほんとうにおもっています。
おなじ病気のひとと繋がることで、痛みを分かち合えたりもします。当事者にしかわからない痛みもやっぱりある。そんな救いがあるのは、SNSならではだとおもっています。
ミスチルファンと繋がれるってことも楽しくてテンションが上がります。
本が好きな人とも繋がれるのってすごくわくわくします。
でも、基本、ひとはひとりだとおもっています。
すべてわかりあう必要もないけど、好きや痛みや価値観なんかで、深く分かり合える部分がある。そんなつながりがあることが、日常の中のふとした瞬間に支えになるような気がしています。
ひとは怖いけど、ひとが好き。
繋がりたいというよりは、好きなひとに好きですって伝えたい、ただそれだけなのかもしれません。
好きなひとが増えたら、人生が豊かになるとおもっています。
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