「もう7年も経つのか・・・」
ほぼほぼ開くことさえなくなっていたfacebookを久しぶりに開いてみました。
すると、7年前の投稿がじぶんにだけ見えるようにして現れました。
7年前の今頃、わたしはほぼ初めての入院生活を経験していたのでした。
自己免疫性肝炎と診断された7年前。
テレビを見ながら洗濯物を畳んでいたある日。
テレビで同世代くらいの女性アナウンサーが胃がんで亡くなったというニュースが流れました。
少し前に胃がちくっとしていたのを思い出して、すこしだけ怖くなり、その場で胃カメラの検査ができる病院を探して予約したのでした。
よく貧血を指摘されていたわたしは、胃カメラの検査をしてもらう時に、そのことを伝えて一緒に血液検査もしてもらうことにしました。
その2日後のことです。
病院の先生から直接電話がありました。
「紹介状を書くから、大きい病院に行ったほうがいい」
肝臓の数値が高いがその原因は精密検査をしてみないとわからない、と言われたのです。
言われるがまま、紹介されるがままに、近くの大きな病院に紹介状を書いてもらい、受信することになりました。
他の原因も考えられるから、まずは薬を飲んで様子をみましょうと言われ、ウルソという肝臓の薬を処方されました。
1ヶ月後、薬の効果は見られず、まずは検査をするために2泊3日の入院をすることになりました。
何度も人に針を刺してきたわたしですが(採血とか、点滴とかですね。包丁刺したりはしてません、さすがにね)、腹に針を刺されるのは初めて(言い方)。
肝生検をするために、入院することになったのです。
消化器内科で働いたことはないので、肝生検なるものがどんなふうに行われるのかさっぱりわからず、もちろん調べましたよね。
「バチン!」と肝臓を刺すらしい、ことを突き止め、先生に聞いてみたら、「そうそう、バチンっていうやつ(ニコッ)」って。
生検当日は、何度か息止めの練習をさせられて、「これでちゃんと臓器固定できなかったら他の臓器も串刺しか・・・」と恐怖で青ざめましたが、そこまで痛みの記憶はなく、何のトラブルもなく終わりました。
で、結局「自己免疫性肝炎」という自分の免疫が自分の肝臓を攻撃する指定難病の病気という診断がつきました。
「病人」にならないように私服を着た入院生活
「自己免疫性肝炎(AIH)」の治療はプレドニンというステロイドの飲み薬を飲むことでした。プレドニンは魔法の薬とも言われているのかいないのか、知りませんが、いろいろな物に対してよく効く、そして、副作用の多い薬です。
免疫を抑える薬でもあるので、最初にたくさんの量を飲み始め、そこからもともとの病気、当時のわたしでいうところの自己免疫性肝炎が悪くならないかどうかを見ながら量を下げていく薬なんです。
だから、入院して飲み始め、様子を見て量が下がってきたところで、退院になります。
自己免疫性肝炎と診断されたときは、肝臓の数値は高かったけれど、そこまで自覚症状があったわけではありませんでした。
だから、入院生活をすることで、「病人」になってしまうことが怖かったです。
「病は気から」です。
だから、毎日朝ちゃんと起きて(当たり前)、普段着に着替え、メイクもして1日を過ごすことにしました。
それでも、起きて一通りのことを終えたとしてもやっと9時。
先生が外来前に顔を見にきてくれるんですが、それでも何もすることがない1日が始まります。
症状もこれと言ってなかったので、何もせずにいることにものすごーーーーく罪悪感を感じてました。
「ふと」に従うことの大切さ。
病気になったこと自体はうれしいことではなかったですが、「40歳までに夜勤のない暮らしがしたい」と思っていて、そのつもりで転職や引っ越しをした後のことだったので、思っていたよりも早く叶っていきました。
すべて伏線というか、アルケミストでいうところの「前兆」だなって感じます。
「ふと」目に入った「胃がんの女性のニュース」。
それに従って行動して、そして、人生は動いていきます。
ニュースを見ても、なんとも思わなかったら、もしかしたら今の現実はないかもしれません。
もしかしたらもっと悪くなって病気が見つかっていたかもしれません。
「今」以外のもしもの現実なんてありませんが、でも、「ふと」に従って動いたから、現実は動いていったし、症状が重くない状態で分かったのは不幸中の幸いだと思うんです。
「ふと」思いついたことをするって、結構リスキーですが、ワンダフルです。(何人?)
「ふと」思いつくこと、「ふと」頭に思い浮かぶことって、何かのサインであることって多い、ともいわれます。
「ふと」浮かんだ思いに蓋をしないで、大切にしてみてはいかがでしょうか。予想もしなかった場所にたどり着くかもしれません。
「ふと」思い浮かんだことは、なんですか?
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