「このままじゃマニュアル人間になってしまう」
中学生か高校生の頃、なぜか突然そうおもったことがありました。
マニュアル人間への恐怖
1+1=2を学び、流行していたルーズソックスは禁止され、白い靴下をなんの疑いも持たずに履いて生活していたあの頃。
「いい子」でいることが当たり前で、勉強をすることが当たり前で、校則に従うのが当たり前でした。
親や先生の言うことは正しくて、それがわたしの世界の規律であり、守るべき価値観やルールとして存在していました。
学校という守られた世界にいれば、何の不自由もなかったし、決められたルールの中ではみ出すことも、はみ出そうと思ったこともなかったから、「みんな同じ」で目立つこともなく、安心して過ごすことができていました。
にもかかわらず。
ある日ふっと頭の中に浮かんできたんです。
「このままじゃマニュアル人間になってしまう」
何かに沿って、何かに従って生きていれば何の不自由もない。
決められたルールや方程式を学び、それに従って生きているだけではじぶんで考えることすらできなくなってしまう。
なぜか突然、守られた中だけで生きることへの不安が顔を出したのでした。
臨機応変は、エネルギーの無駄使い。
大きい組織にいた時は、指導を受ける時にもマニュアルに沿って、この仕事は必要物品がこれこれで、これに沿って準備をして・・・と説明を受けていました。
だから、当然メモはするのですが、マニュアルもあって、みんながそれに従って動くので、「いざ!」という時にはみんなが一致団結して動くことができるし、それぞれの動きがわかるから、自分がどのポジションに入ればいいかも見えてくる。
そして、ミスが起きた時にはその原因が手順にあるんだったら、マニュアルにテコ入れしていけばミスも防ぐことができるようになってくるんです。
それが、小さな組織に入った時、ほぼ全てを口頭で指導を受け、ふんわりしているように感じました。
「こういう場合どうするんだっけ?」
「◯◯さんに聞いてみよう」
みたいな会話がベテランの職員からも普通に聞かれていて、経験が全てなのかな・・・と感じました。
大きい組織にいると、
たとえば「10時に書類や検体を運んでくれる人が来るから、それまでにこのBOXに入れておいて、それに間に合わない時には自分で持っていかないといけない」みたいなことがあります。
そうすると、この仕事は何時までにしておいたほうがスムーズに次の仕事に移れるな、とか、その仕事の次の業務をする人に迷惑をかけないようにするためには、何時までにしておいたほうがいいな、という段取りができるんですよね。
でも、それがはっきり決まっていなくて、お願いすればできることもある。できないこともあるけれど、みたいな、良く言えば臨機応変。
でも、悪くいえば、臨機応変であるが故に判断を問われることが多いんです。
「毎朝服を決める」という決断エネルギーを節約するために、いつも同じ服を着ていたスティーブ・ジョブスの話は有名ですよね。
「決める」ということはエネルギーを消耗します。
マニュアルは、組織がスムーズに回るためのルールである
「マニュアル」に従うことを嫌う人もいますが、マニュアルがあることで、他にあるもっと重要なことの判断にエネルギーを使うことができるんです。
マニュアルがなければ、人によってやり方が違い、人によって違うやり方では仕事の質はバラバラだし、一人で完結する仕事ではない場合は、その後の業務が振り回されるんです。
選択肢を作ってしまうと、その後にいくつかの選択肢ができて、そこから一つを選ぶとまたさらに・・・というように、判断する、決めることが増えていくんです。
そうすると、エネルギーは消耗し、業務は複雑になる一方です。
マニュアルとは、組織がスムーズに回るためのルールなんです。
2人以上が集まれば、価値観や仕事の仕方などバラバラになってしまいます。
大切なことを大切にするために、ある一定のルールを設けておくことは必要だな、とマニュアルがない、もしくは、あっても活かされていないところで働いてみて、強く思うのでした。
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