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原点回帰して、気づいたこと

「次、なに捨てよう・・・」

部屋のまんなかに置かれたテーブルに座って、部屋を眺めてみる。

スマホには「今日はこれを捨てました!」「今日のチャレンジやりました!」と、100日チャレンジを続ける仲間たちの報告がぞくぞくと入ってくる。

「さて、どうしよう・・・」

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1日1捨チャレンジが行き詰まる。

9月23日からはじまった100日チャレンジ。

何にしようか迷った挙句、1日1捨をすることにしたんです。

それは、何度も断捨離してみるものの、部屋の中がスッキリするのはそのときだけ、という壁を突破したいな、と思ったからです。

最初のうちは、わかりやすくゴミだったり、今は使ってないものだったりをどんどん捨てていたのですが、そのうち、パッと思いつくものがなくなってきました。

一緒に100日チャレンジをするメンバーで、やった報告をしあっていて、それがほどよい刺激になって続けられていました。

でも、次第に意気揚々と届く報告に、「やばい、今日も捨てなきゃ。どうしよう」と仕事が終わって焦りながら部屋の中を徘徊する始末に。

かといって、部屋がすっきりして居心地いい、最高! とは思えない。

まだまだやれることがあるはず。

仲間との中間報告会

そんな中、あっという間にチャレンジ開始3週間後の日、一緒に100日チャレンジに取り組むメンバーとZOOMで中間報告というか気づきの報告会みたいな会がありました。

仲間のひとりが、ぽつんとつぶやいたんです。

「で、それでわたし、どうしたいんだっけ?」

そのことばを聞いた主催者の方が言ったのが、これ。

「この100日チャレンジが終わったとき、どうなってたいの?」

そのことばを聞いて、ハッとしました。

100日チャレンジが終わった時、わたしはどうなってたいんだろう。

すっきりした部屋に暮らしたい。

それはそうなんだけど、それだけじゃない。

すっきりした部屋で、どんなふうに暮らしたいの?

断捨離をする理由はなんなんだろう。

親にもったいない、とか、今時のひとは簡単にものを捨てる、とか言われながらも(言われるからこっそり捨てている)断捨離を少しずつ進めているのはなんでだろう。

原点回帰し、目的を再確認する。

ミニマリストになりたいわけじゃない。

憧れはするけれど、じぶんには無理だと思うし、毎日おなじ服なんておもしろくない。

わたしはただ、

好きなものに囲まれて、大切なものを大切にして生きていきたいんだ。

わたしにとっての心地よさってなんだろう。

ミニマリストのひとは、◯着で着回し!と言うけれど、SLEもあって、寒くなるとからだがきつくなったり動きにくくなったりするわたしにとって、あたたかさを保つために必要なものは、数着では補えない。

たくさんのメイク道具は必要ないけど、「今日は何色のアイシャドウをつけようかな」って考えるほんの少しの時間は、わたしの心を豊かにしてくれる。

壁一面の本棚は憧れてたけど、本をぎゅうぎゅうに詰め込んだら息苦しくなってしまった。はみ出すし。

深呼吸をしながら、部屋を眺めてみる。

暮らしのなかで動きにくさや、プチストレスを感じる理由はなんだろう。

断捨離は、ものや執着を手放すだけのイベントじゃない。

これもじぶんと向き合う旅なんだなって、感じています。

でも。

100日チャレンジを終えたとき、

ここがわたしのだいすきな場所なんだ

って、胸を張って言える場所にしたい。

そう、言うために、100日チャレンジのゴールの日まで、進んでいきます。

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