「ひとりになりたい・・・」
約20年もひとりで暮らしていると、じぶんのペースというのができあがってしまって、誰かと暮らすなんてことがなかなか考えられなくなります。
うん十年ぶりに実家で暮らし始めて、ようやく4年目となっています。
仕事をしながらだと、仕事でたまったうっぷんを帰り道で晴らして気分を一旦リセットして帰れればいいのですが、車で5分の場所に就職してしまったがために、ため息をついたら家に着いてしまうほどあっという間に家に着いてしまいます。
家族と暮らすことで見えてきたことや一緒に過ごすからこそわかることもあるなとおもうようになったのですが、それでもやっぱり、ひとりがすき、だとおもうのです。
そんなとき、『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』という本を知りました。
40代、他人同士で、仕事も一緒のふたりが、一緒に住んでいるらしい。
阿佐ヶ谷姉妹といえば、ミスチル桜井さんとラッパーGAKU-MCが組んでいるユニット「ウカスカジー」のミュージックビデオに出ているひとたち!
ということしか知らなかったのですが、だいすきなウカスカジーのミュージックビデオに出ている、ただそれだけでもう親近感すら湧いてきます。
それにどうやらとってもおもしろそう。
と、さっそく取り寄せたんですが、読み始めた途端におもしろくて、一気に読むのがもったいなくて、すこしずつすこしずつ読んでいきました。
が、途中からやっぱりおもしろくて、一気に読んで、最近たまっていたうっぷんが一気に晴れたような爽快感を感じました。
近いひととの距離のとりかた
ひとの感情や顔色に敏感で、ひとと過ごすと疲れてしまうので、学生の頃はそんなストレスから、ひとりになったら一気にいろんなものを食べてしまうほどでした。
そんなわたしが、家族とはいえ20年一緒に暮らしていないひとと、寝食をともにするというのは、正直とーーーーってもきつかったです。だいぶ慣れたけど。
阿佐ヶ谷姉妹、とはいえ、他人同士が一緒に暮らしているなんて、どんなふうなんだろう・・・、そう思って読み進めていきました。
寝ても覚めてもお姉さんの顔が見えるのがつらい。
『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』阿佐ヶ谷姉妹
え?いっしょに暮らしているひとに「あなたの顔が見えるのがつらい」って言っちゃうんだ?!笑
ちょっと吹き出しつつも、言っちゃいけないと思っていることをサラッと言ったり、わたしだったらがまんするのが当たり前だよなと思うようなことを平気で行い、のびのびと暮らしているみほさん。
ちょっとした愚痴をこぼしつつも、
モヤモヤする気持ちの上に感謝の気持ちでふたをして
『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』阿佐ヶ谷姉妹
暮らしているお姉さん。
言っちゃいけないことって別にないんだ。文句だってサラッと言っちゃっていいんだ・・・。
そんなちいさなことが吹き出しつつも衝撃でした。
「いい子」が抜けきれない、四十路のわたし。
なにかを指摘されると、どうしてももうそんなこと言われないようにしてやろう!と気張ってしまうのです。
でも、別に文句を言っても言われても、それすらもスルーして好きなように生きればいいんだ、そんなふうに思わせてくれました。
わたしはわたし、他人は他人
それからもうひとつ、それでいいんだ! とわたしの価値観をびりびりっと破ってくれたエピソードがありました。
それは、みほさんのことが大好きで、ひとりでいるより一緒にいたいお姉さんですが、じぶんのご褒美はじぶんにちゃんと与えているのです。
具体的には、好きなお寿司を買って食べていたり、ローストビーフを自分へのごほうびに買っていたりする、というようなところがサラッと書かれているんです。
なにが言いたいのかというと、、、
じぶんだけにご褒美しちゃっていいんだ!
ということです。
じぶんにご褒美で、例えばケーキを買うとします。家族と暮らしていると、じゃあじぶんだけケーキを、というわけにはいかないですよね。
ご褒美というくらいだから、ちょっとお値段お高めのもの。
それをじぶんへのごほうびのたびに、家族の人数分、ともなるとけっこうな出費です。
それでもごほうびしたくて買ったおいしいものを、家族と一緒に「おいしいねー」と食べることはほとんどありません。
味の好みが違い、高級だってことやありがたみもわかってくれずにがつがつ食べる父と、じぶんの仕事や韓流ドラマに大忙しで基本マイペースな母。
一緒に感動を分かち合いたくて買った、高価なごほうびも、感動を分かち合えることなく、わかってもらえない悲しさと腹立たしさで終了することがほとんどなのです。
でも、この本を読んでいると、わたしは、わたし。家族は、家族。
わたしはじぶんにごほうびを与えてあげたらいいし、それを家族に分けなくたっていいんだって思えたんです。
そもそも、「家族と分かち合うもの」という価値観やじぶんだけしあわせになってはいけない、みたいな謎の罪悪感が、思いっきりしあわせに浸ることを妨げてきたんだなって、気がつきました。
わたしは、わたし。
わたしを喜ばせることができるのは、わたししかいないのです。
だから、ご褒美しちゃえばいいのです!
さて、今夜はこのあとどんなご褒美しようかな。
わたしによる、わたしのための、わたしだけのごほうびを。
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