「看護師から離れよう・・・」
そう思って旅に出たのは、看護師になって3年目を終えた頃でした。
ほんとうは、まだまだ看護師として成長したかったし、次の就職先まで決めていました。だけど、親友が仕事を辞めて、『病院で働く』という、看護師としてはあたりまえだと思っていた働きかたとは別の方向へ進み始めたんです。
そういう選択肢もあるんだ・・・。
当時、病院で働くのがあたりまえだと思っていたし、ずっとそうすると思っていたけど、突如あたらしい選択肢が現れたのです。
ホスピスで働きたい。
そして、ほんとうは患者さんのそばで不安に寄り添って癒やすことがしたい。
病棟業務はたくさんあって、わたしがほんとうにやりたいことに注力するには病院で働いていてはできない。
でも、そういう職種ってなさそうだな。
自分でつくるしかないのかな。
当時、言語化はできていなかったけど、なんとなくそんなふうに思っていたわたしにとって、想像していた理想と現実のギャップを埋めてくれるかもしれない、あらたな選択肢が現れた気がしました。
「旅人になります♬」
とか言って、3年働いた病院を辞め、行き先を決めずにまずは沖縄の与那国島を目指して旅に出たのでした。
そこからは、縁や直感を頼りに、行く先を決め、天気を見ながら海に行ったり島に渡ったりして過ごしました。
とはいえ、旅に出ると決めた途端にミスチルのツアーが発表されたので、ライブのために福岡へ戻ってくるという、かっこいい旅人になりきれない旅人として1ヶ月くらい過ごしました。
「そろそろ働こうかな」
日本全国、ミスチルを追いかけてライブに参加し、ap bank fesに行き、これ以上ないくらい楽しんだ日々を過ごしたあと、心のなかに湧き上がってきたのはやっぱり看護師としてはらたきたいという想いでした。
紆余曲折あって、いちばん長く働いたのは手術のあとの患者さんや意識がなくなって運ばれてくる患者さんを看るような、命に素手で触るような緊張感が絶えない部署でした。
なんで看護がすきなのかって考えると、やっぱり患者さんに寄り添っていたいと思うし、笑顔を見たいと思う。その人が生き生きと生きていけるようなサポートをしたいと思うし、心から応援したいと思うんです。
でもその、重症な患者さんがいる部署では、目が覚めたらわたしたちのことなんてきっとほとんど覚えていないでしょう。
それでも、やりがいを感じられたのは、勉強した知識が次の日には「だからそういうことだったのか!」って納得して仕事ができるようになること、チームみんなでひとつの目標に向かってひとつになるような一体感を感じられること、そして、そこでの人間関係が良かったことはとても大きいとほんとうに思うのです。
今、はたらいている高齢者施設では、昨日勉強したことが今日の仕事で活かせる! という感覚は正直言ってあまりないです。
それは、時間のながれかたが違うからなんだと思うのです。
重症な患者さんを看ていたときには、1分1秒を争います。たとえば、脳梗塞が起きて3時間以内に治療を初めなくちゃいけないとき、発見されて救急車で運ばれてきたときにはもうタイムリミットまであとわずか、という状況だったりするのです。
施設でももちろんそういう症状の場合もありますが、様子を見ながら対応を決めていくことがほとんどです。
最初の頃は、その時間の流れにイライラしたり、焦ったりすることも多くありましたが、少しずつ慣れてきました。
おじいちゃんやおばあちゃんの笑顔が見られることが、今のいちばんのやりがいというか心の支えです。
施設では、看護師 vs 介護士 みたいな対立構造は、たぶんどこにでもある。
だけど、ほんとうは目指すところは同じだと思うから、お互いの職域とかを理解しつつ協力し合って働いていけたらいいなぁと思うんです。
どこで働いていようと、やっぱりわたしは看護がすき。
好きな看護師という仕事を、無理なく、そしてやりがいを感じて続けていきたいな、と思うのでした。
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