施設ではたらきはじめて、かわいいおじいちゃんやおばあちゃんと話すのがとても楽しい。施設なんて絶対にいやだ、とおもっていたはずなのに、思った以上にたのしくて、じぶんでも心境の変化にとてもおどろく。
基本的にどのおじいちゃんやおばあちゃんもかわいくて、一般的に問題行動と呼ばれるような症状のあるひとほど愛おしさが倍増したりする。
でもそれは、現場ではたらいている介護職のひとからするとそうでもないことは、病棟で働いてきた経験もあるからそれもとてもよくわかる。
やらなくちゃいけない業務はやまほどある。あと1時間のうちに、あれと、これと、あとそれから、あれもやらなきゃいけない!
「ここはどこー? 船は出るのー? 連れて行ってー!」
などと呼び止められたときには、あたまにがーーーっと血がのぼってイラーーーっとする。
耳元でおおきな声で「こーこーはーねーーー!」と返事をしても「はあーーー? なんていいよるか聞こえん!」なんて言われた日にはもうたまらない。現場ではたらくスタッフにとっては、ほんとうにイライラするのだ。
だけど、不思議なことに、そういう状況じゃないときに、つまりこころとからだの余裕があるときにそのおばあちゃんに接するときには、そんな返しにもふふっと笑えてきて、愛おしくなる。だからこの仕事はやめられない。
そんなふうにして、かわいいおばあちゃんたちと接するのはとても楽しい。
なのに、どうしてもやり場のない感情が湧いてくることがあることに気がついた。
はじめは、介護施設という場所でおこなわれているケアに対する衝撃と落胆と憤りのようなものだとおもっていた。だから、この場所を変えなくちゃ、もっといいケアができるのに。もっといいケアを知っているのにできないなんてもどかしい。どうしてわかってくれないんだろう? というかどうしてこんなふうにして、って言っちゃいけないんだろう?
介護施設という場所のもつ特有の空気や、病院とはまったくちがうチーム編成のもつ意味がまったくわからなかった。
「ここでは介護さんが主役だから。」
医療のプロフェッショナルとして、看護師だからわかることはいろいろある。
仰向けのままずっといると背中側の肺が無気肺になってしまう。
だからしっかり体位変換したほうがいいし、ベッドも基本的には平らよりも30度上げておいたほうが肺が広がりやすい。
食事介助のときにはあごをぐっと引いて下向きにしたほうが、誤嚥しにくい。しっかりからだを起こさないと危険。
これまであたりまえのようにやってきたことが、ここではまったくされていない。・・・ということをここで避難したいのではまったくない。そうじゃないんです。
そういう、《 看護師だからわかること 》を伝えちゃいけないのだろうか?ということなんです。
でも、ストレートに伝えてしまうと、介護さんたちはじぶんで考えなくなってしまうし、「看護の指示だから」と、「やらされてる感」が強くなってしまう。だから、どう伝えるかなんだよね。そうずっと言われてきた。
そういうものなのかなぁ。
施設での経験がまったくないわたしは、施設看護師の役割がまったく見えず、今までのチーム医療の型をまるまる介護の現場にあてはめて考えていた。介護職は、介護のプロフェッショナルなんだから、看護師も医療のプロフェッショナルとして、医療従事者だからわかるアセスメントやこれからどうなりそうかなどを伝えていくのが役割なんじゃないだろうかと思っていたのだ。
だけど、最近どうもそうじゃないかもしれない、と考えるようになってきた。
医療のプロフェッショナルとしての役割はもちろん果たすべきものだけど、チームマネジメントやもしかすると、《 学び 》のキュレーター的役割も持ち合わせているんじゃないだろうかと感じるようになった。
さまざまな介護スキルや身体的な知識を、看護師から介護職へ伝えることは、その後の介護ケアに変化を与えるものであってほしい。でなければ、意味がない。脱水気味のひとがいて、ああ脱水気味ですね、と伝えて、そうですね、とそのまま水分摂取を促してもらえないのであれば、わたしたちがいる意味などないのだ。
つまり、どういうふうに伝えるか、どういう行動を起こすことで、他職種の行動変容を促せるかという知識やスキルが必要になってくる。
《 学び 》にしてもそう。研修と呼ばれるものが開催されていても、たった1年しかいないわたしが聞いても、「それ昨年もおなじようなこと誰か言ってなかった?」みたいな内容を、話して終わり。内容に変化があまりないということは、現場のケアも変化がないということ。それじゃ意味がない。
ワークショップ形式だってあるし、体験型だってある。知識をからだに落とし込んでケアにつなげていくにはどうすればいいか、そういった学びの方法をチームのなかに取り入れていくこと、紹介していくことも役割のひとつなのではないかともおもう。
正直、実際にケアするほうがはるかに楽だ。
じぶんがその場でアセスメントしながらケアの方法を変えてみて、状態の変化を目で見て、経過を観察していけたら、どんどん次はこうしてみようとか、これならどうかな、とか、サクサク変えていけるしその変化を見るのはやりがいになる。
だけど、ここで求められているのはこれまでしてきたような《 看護 》ではない。
この組織のなかで果たすべき役割を考えながら行動してみることが、きっとあたらしいやりがいにつながっていくのだとおもう。
まだまだやれることはある。
この世界は奥が深い。だから、やればやるほどいろんなことが見えてきておもしろいのだ。
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