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自己肯定感を上げようとすることよりも大切なこと

自己肯定感をあげる方法が知りたい、という話を聞くことがあります。

「自己肯定感ってなんだろう?」と考えたとき、

じぶんを肯定できる感覚、であることは間違いないのだけど、

もっというと、

じぶんを大切にしている感覚

とも言えるんじゃないかと思うのですよね。

そして最近ふと気づいたのが、

自己肯定感を上げようとすることよりも大切なことがある。

それは、

自己肯定感を下げることをやめること。

つまり、

じぶんをおざなりに扱うことをやめるってことが、

自己肯定感を上げるためにいろいろとするよりもたいせつだと思うんです。

実は先日、

弟が1歳と3歳の娘ふたりを連れて里帰りしてきたんです。

お母さんは仕事だから、父親である弟がふたりとも連れて帰ってきました。

その日わたしは仕事で、

仕事から帰ると、いとこといとこの子どもたちが我が家に来ていて

ちびっこたちが総勢6人!!!

扉を開けた瞬間、カオスですよね。

誰が何を言ってるかなんてひとっつも聞こえない。

手を洗いに行こうとすると、

どこかに連れ出してくれるんじゃないかとついて来るちびっこや

遊ばせているおもちゃのピアノ音、

うるさ過ぎてテレビの音が聞こえないから、

テレビの目の前に寄っていくちびっこ。

みんなのご飯は終わっていたので、

かろうじて空いている椅子で夜ご飯を食べ、

次の日の弁当の準備をしつつ「え?」とか「もう1回!」とか言いながら

カオスのなかで過ごしたのでした。

ふだんは大人しかいないので、ちびっ子たちの様子がかわいくて楽しいけれどぐったり。

みんなが帰ったあと、

ちびっこたちが入った後の最後のお風呂に入ったら、

お湯はぬるいし汚いし……。

そして思ったのです。

「世のお母さんたちって、こういうのの繰り返しなのだろうか」

と。

そして

「これ続けてたら、自己肯定感下がるわ……」

とも。

これって、あったかいお湯で体も温まらなかったし(お湯を入れたのだけど、あったまるほど入れられなかった)お湯は汚いしで、

癒されない……

とおもったんですよね。

案の定、次の日にはその結果がやってきたんです。

次の日の仕事は6時出勤の勤務。

予定どおり職場に着くと、着替えようとしたら仕事着のズボンを忘れたことに気づいて、

急いで取りに帰りました。

そのとき、イラッとしたんですよね。

朝もなんとなくイライラが積もりつつあったんです。

前日には、日勤だと思ったら早出だった?!と慌てて仕事に行くってことがあったけど、

その時には、焦りつつもおもしろがれていたんです。

「これネタになるー笑」って。

それが、今日は違う。

イライラする。

泣きそうになる。

ついには「サイアク!」ってことばまで出てしまう始末。

からだの疲れと、あのお風呂でのじぶんをたいせつにできていなかった感覚が

おなじような経験なのにイライラさせたんだろうな、と思うのです。

これってお母さんだけじゃなく、

誰にでもありますよね。

ほんとはこの服が着たいけど、今日は雨だからこれにしよう、とか。

ほんとはこのカップが好きだけど割れちゃうと嫌だから、こっちにしとこ、とか。

ほんとはしたいけど、無意識にがまんしたり後回しにしちゃったりすること。

それをまずはやめていくことで、

自己肯定感って軽くなった風船みたいに、ふわっと上がる。

日常に潜む、ちいさなちいさなおざなりな扱いが、積もり積もって、

自己肯定感の風船の重りになっている。

ほんとにちいさなこと。

見てみぬふりしてきた「悲しい」をそっと掬い取ってたいせつにしてあげることこそ、

自己肯定感を上げるために何かをするよりも

たいせつなんじゃないかと思うのです。

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