「今感染したら、死ぬ・・・」
そう感じたあの時から3年が経ちました。
ちょうど年末にミコフェノール2000mg開始して、それがとてもよく効いて、白髪の背の高い博士風の先生が「よく効いてるよ〜〜〜!」とスキップ・・・はしてなかったと思うが、そのくらいの勢いで入ってきた。
うれしーーーーー!!
と、喜んだのも束の間。嵐解散のニュースとともにやってきたのが白血球600への階段を下り始めた検査データだったのです。
結局わたしには合っていたようで、よく効く薬だったから2000mgも必要なかったみたいで、今は1000mgで落ち着いています。
そう。
SLE3年生。再燃することなく、寛解を維持できています。
SLE3年目の今。
ループス腎炎Ⅳ+Ⅴ型で、この3年は正直腎機能が、それはもういつ悪化するんじゃないかとひやひやしてました。
それだけじゃなく、当初内服していたオルメサルタンという薬の副作用でカリウムの値が高くなることがあったりして、採血の結果はいつもドキドキしながら待ってました。
3年目の今、
✔ プレドニン5mg
✔ ミコフェノール1000mg
✔ プラケニル
で、SLEの活動性を示すds-DNA抗体はマイナス、補体の低下もなし。
先月はeGFR 64.4 クレアチニン0.79と、下がり止まらない腎機能にどうしようかと思ったけど、今月は eGFR 74.6 クレアチニン 0.69と横ばいって思ってよいのかな・・・という値に。
というわけで、3年間がんばってきたことを振り返ってみます。
SLEとともに生きるために意識してきた5つのこと
正直、病気はわたしの味方だとおもっています。無意識はからだにあらわれると思っているから。
だから、『闘病』ということばは使わず、いっしょに生きる、というスタンスです。わたしがわたしらしくいるための伴走者だとおもうから。
①不安や恐怖や怒りを受け入れ、しっかり感じる。
わりと早い段階で、病気の受容はできていたつもりですが、それでも体感的な自覚症状の有無や程度によって、感情が揺さぶられることはたくさんありました。
その都度、感情はしっかり感じるように怖くて泣きたいときには泣き、怒りの感情は枕をたたくなどして感情解放し、不安でたまらない時はノートに何を感じているのかを書き出すなどして、しっかりと感じて流していきました。
感情は、抑えちゃだめ。
批判してもだめ。
感情は感じていいんです。どんな感情もOK。
しっかり感じて、吐き出して、そして、ほんとうはどうしたいんだろう?
と自分に問いかける。それをずっと続けてきました。
②心地よいと感じることをする。
アロマはお守りです、というくらい、2・3本くらいのアロマオイルを持ち歩くほど、とくに仕事中に感情をリセットするのに使っています。
アロマだけじゃなく、大好きなミスチルの音楽を聞いたり、すきなカフェに行ったり、片道3時間かけて遠くの本屋さんに行ったりしました。
あとは、やってみたかった陶芸のワークショップに参加したり、手芸にチャレンジして、服を作ってみたり、やってみたいと思うことには挑戦し、そして、なにかに夢中になれる時間を作るようにしました。
③病気と食事のことを勉強し、自分にできることをする。
SLE(全身性エリテマトーデス)も、AIH(自己免疫性肝炎)も、
原因不明の難病です。
・・・と言われていました。
最初にAIHを発症し、原因不明ならなにもできることはないじゃん。そうおもったんですが、そうじゃなかったんですよね。
できることはたくさんある。
からだにいい食事をバランス良く摂る、とか。
おいしい空気を吸う、とか。
たくさん笑う、とか。
直接病気を良くする治療的な方法じゃなくても、できることはたくさんある。それは、看護をするなかで学んできたことでもありました。
新人1年目の時は、足の裏に毒素を吸うテープのようなものを貼る患者さんを見て、ちょっと引いたりもしていたのですが、今ではわかります。
そのひとが効くと思えばそれでいいんじゃないか、と。
そのもの自体が効果があるかどうかよりも、それをすることで、そのひとがすこしでも楽になったり、前向きになったりするなら、その効果のほうが大切なんじゃないかとおもうんです。
AIHになったあとに出会った、自然療法から、びわの葉温灸をしてみたり、こんにゃく温湿布をしてみたりもしました。
正直どっちもとても気持ちよくて、びわの葉はやり方が曖昧で最近はしてないけど、こんにゃく温湿布は疲れがひどかったりするときにはやったりしてます。
「原因不明の難病だから、先生にまかせておけばいい。できることなんてない」
と悲観的になるくらいなら、おもしろそうだと思ったものはやってみたらいいと思うんです。だーめだこりゃっておもったらやめたらいいんだし。
というか、どれも、自分の感覚が指針だとも思うんです。
「おもしろそう!」センサーが働いたらやってみたらいい。
「微妙」って思うならしなくていい。うん。
④『難病患者』でいる時間をできるだけ少なくする。
「わたしは難病患者なんだから、あまり外に出ちゃいけない」
「わたしは難病患者だから、おいしいものを食べちゃいけない」
「わたしは難びょ・・・・もうええわーーーーーい!!!」
みたいに、難病患者であることで、自分を制限したり、かわいそうな自分でいるのを極力やめました。
とはいえ、退院直後はわたしも『難病初心者』、家族も『難病家族の初心者』で、ひとつひとつのことにたいして恐る恐る進んでいくような感じでいたので、その頃は病気を忘れたくても忘れられないこともたくさんありました。
まあでも、それも愛する家族のことだから心配になるわけで、しょうがないよね、と今なら思えます。もちろん当時は辛くてたまりませんでしたけど。
具体的に何をしたかというと、②と似ているのですが、好きなことをしてました。
退院後の日常は、落ちた体力で家事のリハビリをしてはくたくたになる、を繰り返す、ただでさえ家事ってけっこうな労働だけど、それをリハビリとしてすると、1日のけっこうな時間を家事をして過ごすことになりました。
それ以外の時間は、絵を描いてみたり、ちくちく裁縫してみたり、本に没頭してみたり、と、病気を忘れる時間を意図的に作っていました。
⑤自分の人生に夢中になる。
いつもだろうが、と言われそうですが、物語を読みながら、これから自分の人生をどう生きていこうか、と考えてました。
病気がこれからどうなるかもわからない中で、先が見えるはずもなく、真っ暗なトンネルの先を、目を凝らして針の先ほどの光を見つけようとしてました。
とはいえ、仕事に復帰してからは、体調と仕事のバランスをどうとっていいのかをからだの声を聴きながらなんとかやってきた、というのがほんとうのところですけどね。
まだまだ旅の途中。
とはいえまだまだ3年目。
きっとこれからも悩んだり、病んだり、苦しんだり、泣いたり・・・って。笑 大変なこともたくさんあるのかもしれない。
でも、
今生きているということは、生かされているということ。
大好きな稲葉俊郎先生のことば。
生かされているこの生命を大切に、楽しんで、そして、受け取ってきたものを誰かに手渡していけるように、生きていきたいと思うのです。
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