「半年後に死ぬとしたら、どう生きる?」
突然、「死んだらわたしがなくなっちゃう」と、こころのなかでつぶやく自分の声が消えてしまうことへの恐怖をいちばん感じたのが、小学生の頃でした。
つまり、小学生のわたしは、「じぶん=こころの声」だと認識していたんですね。あれこれ考えて、頭やこころの中で繰り広げている、誰にも見せることのないわたしだけの本音の世界が消えてしまう、それがいちばん怖かったんでしょう。
あれから、ときどき頭に浮かんでは消える、この問い。
でも、半年って決まっていたら、好きなことだけして遊んで暮らしたい。だけど、半年後に死ななかったら、まだ、〈 生きる 〉を続けなくちゃいけない。そうなったら、ただ遊んで暮らすわけにはいかないよな、と。
やりたいことが「遊ぶこと」なのか、そうじゃないのか。
答えの出ない問いの答えを、はっきりと出すことのないままここまで生きてきました。
死ぬときに言いたいことば
半年後に死ぬとしたら、何をして過ごしたいかははっきりとは決めきれないものの、死ぬときに言いたいことばは決めているのです。
それは
「あーーーーーーーー、
楽しかった!」
です。笑
これだけは、絶対です。
せっかく地球に生まれてきたんだもん、いっろーーーんな経験をして、いろんなことを楽しんで、そして最期にはやりきった!楽しかったーーー!と言って死にたいのです。
きっとこの、「楽しかったー!!」には、
苦しかったけど乗り越えて感じた達成感、や
愛おしいひとに出逢えて感じた愛情、や
ライブに行ってその空気感や音楽や歌詞に勇気をもらった幸福感、
などなど、いろんな感情が入っていると思います。
だから、今、そのための時間を過ごしているんだと思うのです。
実際に感じた、余命10年の可能性
SLEが発覚して、ループス腎炎を発症しました。
SLEの治療はどんどん新しい薬が出てきて変わっているので、今やこれからがどうなるのかはわかりませんが、ある人に言われたことばがありました。
「透析になる前に、旅行行っとこう!」
・・・透析に、なる前に?
曰く、SLEの人はたいてい透析になっているとのことでした。
ループス腎炎の型を調べるために、腎生検という腎臓の細胞を取って調べる検査をします。その検査で、わたしは「Ⅳ+Ⅴ型」。古い教科書には、腎不全になりやすく、予後不良、と書いてありました。
退院してから、後悔しない人生を生きよう、と考えるけど、考えても考えても遠くの方で聞こえるのが「透析になる前に」。
いつかは動きも自由に取れなくなるのに、何かを学んでもこれからの人生どうしようもないんじゃないの?
好奇心旺盛で、新しい世界を見るのが大好き。
そして、新しい学びも好きなわたしが、先が見えているのに学んだところで何もできないんじゃないかと思うようになったのです。
ちなみに、現代どれくらいのひとが透析になるのかとかはあまりよくわかりません。以前プラケニルというお薬が承認されてから、再燃しにくくなっている、というようなお話を伺ったこともありますし、症状も人それぞれ大きく違うから、わたしやあなたが透析になるかどうかはほんとうにわかりません。
永遠に生きるかのように学べ、明日死ぬかのように生きろ。
「好きな言葉は『永遠に生きるかのように学べ、明日死ぬかのように生きろ。』です。」
そう教えてくれたのは、先日の魔法のランプ講座でコーチングをしてくださった、たまおさんでした。
学んでいいんだ・・・。
当時のわたしにぜひとも教えてあげたいと思いました。
学んだことが無駄になるわけではないですもんね。
学びにしても何にしても、人生でやりたいことをやっていきたい。
今はそう思うんです。
優しさが循環し、希望を生きる世界をつくる
わたしは、楽しい時間や満たされた想いを循環して次のだれかに伝えたい、贈りたいと思うんです。
わくわくして学んだことを、
ライブで満たされた幸福感を、
優しく触れられたあたたかさを、
わたしも誰かに手渡したい。
このブログで、ほんの少しでも、誰が希望を感じてくれたり、学びを活かしてくれたり、想いが繋がって行ってほしい。
そういう想いを込めて、このブログを書いていきます。
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