みなさん、気づいていましたか?
今年があと1か月を切っているということを。
わたしは、10月から2025年の手帳に切り替えて、
どんな1年にしようかな、と準備……
する予定でした……。
そうです。
お察しのいいみなさまならお分かりだと思いますが、できておりません。ちーん。
とはいえ、やりたいこと100リストは書きましたよ。えっへん。
わたしは、入院中も「退院したらやりたいことリスト」を書いてました。
やりたいことリストの何がいいかって、
それだけで、わくわくしてくるし、やりたいことを妄想しているだけで
生きるエネルギーが湧いてくるんですよね。
大げさ?
でも、ほんとうにそうなんです。
わたしの人生を変えた「僕のホスピス1200日」の中でも、
余命あと1か月とかの、残された時間が短い患者さんたちが
残された時間をどう使いたいかを考えてやりたいことをしている姿は、
体こそ弱っていても、イキイキとして見えました。
病気であっても、余命がわずかであっても、
こころや魂がわくわくすること、震えることをすることは、
生きるエネルギーになるんですよね。
2025年、心臓がドキドキドキドキして目がハートになっちゃうような
たまらなく最高な1年にするために、ぜひぜひ
2025年やりたいことリスト100を書いてみちゃってくださいね。
とはいえその100個出しが難しいんじゃーーーーーい!
という声が聞こえてきそうなので、ちょっと落ち着いてくださいね。
はい、深呼吸!
そもそもなんですけど、
やりたいことを100個も書くのが難しいのか。
それは、あなたが大人になっちゃったからなんですよね。
「やりたいこと書こう〜」って、真っ白なノートを広げてペンを持つじゃないですか。
で、やりたいことを書こうとする。
すると、大人になったあなたの頭の中には
モグラたたきのモグラのように、
「いやそれ、お金どうすんの?」とか
「その間こどもたちどうすんのよ?」とか
「旦那に絶対言われるってー」とか
「あんたまた遊んでんの?」というお母さんの声とか
書こうとした瞬間に聞こえてくるんですよね。
で、そんな声を聞いたあなたは、
「……ですよね」
ってなって、ペンを置く。
「普通の女の子に戻ります」とマイクを置いたキャンディーズのように。
(え、知りませんか? わたしもリアル世代じゃないけれど)
「もったいない!」って思いませんか?
キャンディーズまだ続けてよ! って。
山口百恵ちゃんだって、まだできるでしょ! って。
渡辺麻友ちゃんだって、まだやってほしい! って。
あなたもおなじじゃないですか?
さぁ、床に置いたマイクならぬ、机に置いたペンを手に取り、
2025年のやりたいことを書いていきましょう。
昨日、「嫌われる勇気」の著者の古賀史健さんがnoteにこんな記事を書かれていました。
「やってみたいこと」には若干のチャレンジ成分が含まれる。まだやったことがないから、やってみたいのだ。
「やってみたいこと」!!!!!
若干のチャレンジ成分が含まれるやってみたいこと。
さらに、
……じつはこの作業、仕事では毎回やっていることなのだ。
「やりたいこと」とか「書きたい本」とかではなく、若干のチャレンジ成分を含んだ「やってみたいこと」を考える。過去の繰り返しではない、「できないかもしれないけど、やってみたいこと」をイメージする。想像しただけでワクワクするような、同時にすこしブルッと震えるような、たのしみと畏れが同居する境界線に、一歩踏み出す。そうでもしないと仕事なんて簡単に飽きてしまうし、仕事や世のなかがわかったような気になってしまう。
想像しただけでワクワクするような、同時にすこしブルッと震えるような、たのしみと畏れが同居する境界線に、一歩踏み出す。
完全にノックアウトされませんか?
たのしみと畏れが同居する境界線。
この表現に下腹部あたりに程よい緊張が走る。
飛び出てきたモグラの頭をよしよしと撫でつつ、最高の2025年にするために、
やってみたいことを書き出してみてはいかがでしょうか。
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