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54回太陽礼拝に参加して、

「ああ・・・なんか泣きそう・・。ヨガをしていてこんな感じになるのは初めてだ・・・」

悲しいわけじゃない。

うれしい、ともちがう。

感謝、なのか。

こみあげてくる感情に名前をつけられないまま、その時間は過ぎていきました。

*。*。*。*。*。

CITTAヨガ部の年内最後の活動、54回太陽礼拝に参加してきました。

目次

重い腰を上げて参加を決めた、太陽礼拝。

ここ数年、年末年始に108回の太陽礼拝をする、というのが日本のヨガ界でのブームらしく、そういえば昨年にも108回の太陽礼拝、というイベントをよく見かけました。

108回と言うのは煩悩の数と言われていて、きっと日本のものだから、108回の太陽礼拝というのは日本発祥のものだろう、ということでした。(それは別の師、いわく、ですが)

その半分の54回、ということで、オンラインで開催された、54回太陽礼拝。

ヨガのヨの字も知らなかった昨年末、あるひとのヨガニードラを受けたい! というただそれだけで参加した108回+ヨガニードラ。

(もうこのあたりが無謀だし、いつも同じようなことやってるなっておもう。体験したい、やってみたい、会いたい、ただそれだけがわたしの原動力。)

いや本当に、よく参加したなと今は思う。

太陽礼拝をたった2周だけど習慣にすることができた、今だからこそ思う。

\\ ムリ!! //

だから、54回の太陽礼拝のイベント、見てもスルーしていました。

ムリだもん。ムリ。

じゃあなぜ参加したのかというと、ぶっちゃけお誘いがあったから、です。

そして、お休みだったから。

しょうがない、よっしゃやったろ! くらいの気持ちでした。

始まってしまった、太陽礼拝、いつまで続く?!

CITTAヨガ部のみなさんがていねいに誘導してくれるので、いつもはなんとなくで動かしていた部分にも意識を向けてからだを動かしていきます。

これがきもちいい!!

あーーーーふだんちゃんと意識できてなかったな、とおもう部分もあったりして、ていねいにからだを動かすって大事だなあと感じながらしていました。

「20回でーす」

・・・20回?

けっこうやったよね?

・・・・・・まだ、20回なの?

そうなんです。

54回の太陽礼拝。

108回の半分とはいえ、途方もない数字。左右で1回だから(たぶん)、やってもやっても終わらない・・・。

昨年に参加した108回の太陽礼拝では、

「今50回、あと半分、がんばろう!」

とか

「80回! あともう少し!」

とか

「90回! 最後の10回は自分のペースで!」

とか、回数と応援の声をかけてくれていたので、やりながらも、「あーーーーここまできたーーー」と108回達成に向けて、じぶんを奮い立たせていました。

が。

20回、その後の回数、ワカラナイ。(umiゾウ、心の俳句)

「今、何回までいったんじゃーーーー泣」

パソコンの画面には、何回、というのを書いて表示してくれている様子。

が、パソコンは横にある。

横を見て、回数を確認する余裕なんて1ミリもないんです。

だからもう、ひたすら、続けるのみ。

やるしかない。

やるしかないんです・・・・。

ただ、交替する誘導の声に耳を澄ましてからだを動かしていると、あることに気がつきます。

「あ、この声すき」

声の波長なのか、トーンなのか、やわらかさなのか。

なんとなくこの声はあの方だなぁーと思いながら、心地よさに身を委ねてからだを動かしている時間はとても気持ちよかったです。

そしてまた、何人かの誘導の声が変わり、そろそろからだがきついぜ・・・・となったその時、空気が変わったかとおもったレベルで心地よい誘導になったんです。

「脇をしめてー」

そう、それは、昨年の太陽礼拝で、肩を壊さないためによくわたしが注意されていたところ。プランクから八点のポーズにいく時、脇を開いたまま行ってしまうと肩を痛めてしまうから、脇をしめるようにした方がいいよ、と言われていました。

今回も、もちろん意識しながらしていました。

でも、少し左肩に違和感を感じることもあり、自分なりに意識していたところ。

そこを誘導の声でアナウンスしてくれたんです。

その声は、声の調子もことばも安定していて、安心して身を委ねていいんだって思えるような声でした。

54回も終わりに近づいていて、からだももうけっこう限界に近かったときに、誘導の声のおかげで瞑想状態に入っていきました。

からだはきついのに心地よい。

からだは疲れているのにリラックスしている。

そんな不思議な感覚でした。

そんな状態を体験し、やっとのことで54回の太陽礼拝が終わりました。

シャバアーサナで溢れた感情

54回を終えた後のシャバアーサナ。

「1年間がんばった自分に感謝を」

そう言われた途端、急にからだじゅうから込み上げてくるものがありました。

わたしには重すぎる役割。

やってもやっても終わらない仕事。

ようやくひと段落ついたその時にはもう、次の仕事がやってくる。

正しいのか正しくないのかわからない。

正しそうなものを調べて見つけていく作業は、途方もなくて大変でした。

そんな1年をがんばってきたんだなとおもうと涙が出そうになって、なんともいえない名前のつけようがない感情が溢れてきました。

感情の余韻に浸りつつ、心は次へ、あたらしい年に向かっていきたいと思います。

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