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難病になって良かったこと

こんにちは、SLEナースumiです。心臓マッサージをしたり人工呼吸器に触れて、いつも耳の奥からアラーム音がなっていた働き方から、おばあちゃんの笑顔に癒やされる高齢者施設で看護師として働いています。

難病と診断を受けて、「なんで私が」とか「なんでこんなことに?」とか「悪いことした?」と考えたり泣いてしまったりする方もいらっしゃるかとは思いますが、わたしの場合、じぶんが難病であることを受け入れるのは割と早かったと思います。

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SLEと言ってもらえてホッとした。

ちょっと想像してみてもらいたいのですが、真っ暗なトンネルのなかで出口を探そうにも見つからない。ほんのちいさな明かりも見つからない。そんな状況を想像してみてほしいのです。難病や希少疾患の多くは、診断してもらえるまでに非常に多くの時間を要する場合があります。

なんとなく息は苦しいし食事も食べられない。熱も出てからだはきつい。』そんな状況で、それがいつまで続くのかわからないときって、まさに真っ暗なトンネルの中にいるようなものだと思うのです。診断に時間がかかるということは、「原因不明の体調不良がいつまでも続く」という状態です。そこから難病とはいえ、診断してもらえたということは、治療してもらえるということです。

それに、原因不明だった症状の理由がはっきりわかるのです。

まさに暗いトンネルの中で光を見つけたときのようなきもちです。

大丈夫。これから元気になっていけるから。

自分と向き合う時間が持てた。

SLEでの入院のとき、ゆっくり、そしてじっくりじぶんと向き合う時間がとれました。入院中は、言ってしまえば、3食昼寝付き。いや昼寝はしてませんけども。

でも、病気になった2018年、わたしは人生のリセットの年だと思ったのです。

病院で働く看護師をしながら、病院で働く以外の選択肢があってもいいんじゃないかとおもっていたし、2015年に自己免疫性肝炎になってから、やりたいことをやる生き方をしようとおもっていました。実際、「自分らしく生きるを応援したい」と起業しようと動き出したりしていました。

ところが、始めて見るとじぶんが思っていた「やりたいこと」からずれていくのを感じました。どう修正していいのかもわからなくなって、一旦リセットしようと再度就職することにしました。SLEを発症したのはその矢先でした。

ほんとうに自分がやりたいことはなんだろう。

じぶんと向き合うなかで、それまで、誰かすごいと思うひとのことばをじぶんの考えだと思うようになっていたことに気がついたのです。

そこからは、じぶんの完成を磨く本を読んだり、考え方の根っこを整えたりと、毎日自分と向き合っていきました。

痩せた。

体型のことを言うと身も蓋もない気もしますが、痩せました。

これは、SLEの大きな恩恵のひとつだと思っています。万年ダイエッターで生きてきて約40年。ダイエットを決意して、目標達成できたためしなんかありません。それが、治療を始めてみるみるうちに体重がどんどん減っていったのです。

誤解のないようお伝えしますが、減ったのは水です。

入院前のわたしは、腎臓に炎症が起きていて(ループス腎炎といいます)からだのなかに水がたまって心臓も水におぼれているような状況でした。食事はたべられないのに体重は思ったより減らない。その重さはからだにたまった水だったのです。

腎臓の炎症がおさまって、たまっていた水がどんどんなくなって、出来上がったからだは難民のこどものような手足が細くおなかがぽってりしたからだでした。

もちろん、そのからだに自信が持てるなんてことはなかったのですが、体調管理や弱ってしまった筋肉をつけるために探してたどり着いた、インナーマッスルのトレーニングでようやく少しずつじぶんのからだを好きになれてきました。

でもこの体型は、検査や治療などの苦しみの唯一のお土産だとおもっているので、絶対に手放したくない。SLEになって良かったって言い切るための努力はいちおう今も重ねています。

自分のからだを大切にできるようになった。

完璧主義と自己犠牲のかたまりで生きてきたわたしは、甘えるくらいなら無理したほうがマシ!という精神の持ち主。それは実はいまでも根底にあります。

無事、寛解に入ったとはいえ、「助けて」とSOSを出したり、「お願い」とかわいく甘えるくらいなら傷だらけになった自分のからだに鞭打って戦地に赴くほうが断然らく。

だけど、そうは問屋が、いえ、SLEがおろしてくれない、許してくれないのです。

血液検査の結果では、SLEの活動性は落ち着いている。でも、からだは突然重くなったり疲れて動けなくなったり、手足の指先が冷たくしびれて感覚がなくなったりします。

無理しがちなわたしの、ストッパーとして、SLEがいてくれるんだとおもっています。

実際、SLEを言い訳にしていることはときどきあります。「病気だからできませんー」なんてわざわざ言って回ったりはしませんが、じぶんの中で無理しない言い訳としてSLEの存在を感じるようにしていることはあります。

きっとそうでもしないと、無理しちゃうからな、と思っています。

無理せず、自然に甘えられたり、ひとにお願いできたりすることができるようになれば違う未来が待っているんじゃないかな、と思うのです。

私は絶対、運がいい。

わたしは、意外と運がいいからです。

「運がいいからだいじょうぶよ」

病気になったとき、あるひとにそう言われました。

「運がいい」・・・そうか。わたしは運がいいのか。

今よりずっと若い頃、はるか昔のことですが、浅見帆帆子さんの「わたしは絶対、運がいい」という本を読んでいたのを思い出しました。

忘れていたけど、実際わたしは運がいいのです。

入院したその週末、なかなか取れないミスチルのアリーナツアーのチケットが当たっていました。入院になったら行けないと思っていたけど、検査や治療を頑張るために、と外出許可をもらっておぼれた心臓をかかえてライブに行きました。

体調も悪いし、開演ギリギリについたその席は、アリーナ中央寄りの出島のすぐ横。3時間も立っていられる体調ではなかったけれど、立っても座っても桜井さんが見える神席だったのです。

これはもうミスチルに応援されているとしか思えない!と勝手に思ったのです。

病気が叶えてくれる本音に気づく。

わたしは病気になったことで、どれだけ完璧主義で生きてきたかということや、まだまだひとに甘えたいのに甘えられない自分がいることに気が付きました。そして一番は罪悪感を抱えて自分を責め続けていることに気がついたのです。

とはいえそう簡単には、完璧主義も甘えられない自分も罪悪感も、手放せそうにはありません。ですが、最近すこしずつ、すこしづつですが、自己対話や断捨離をとおして手放していけそうな気がしています。

まとめ

とはいえ、難病でいたいわけではありません。

ただ、いちばん大切なことは、じぶんの心とからだをいちばんに大切にすることなんだと思うのです。嫌われるのがこわくて、自分がいっぱいいっぱいになっていたこと。それはやっぱり自己犠牲でしかない。ちゃんとNOを言うことは、じぶんを守るためでもあるし、相手を大切にすることにもつながるような気もしています。

難病と言われて泣いている今、難病であることのすべてを今すぐに受け入れる必要はありませんが、まずはそのきもちをだきしめてあげて、そこからゆっくり歩きだせたらいいかな、と思うのです。

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