「きもちよかったー」とはちがう。
「癒されたー」ともちがう。
なんとも言えない感覚。
確かにきもちよくて、意識を失ったんだけど、あのとき感じた、とてつもない「癒し」のような感覚とはすこしちがうような感じがしました。
陰ヨガ養成講座モジュール1
神戸にあるヨガスタジオ spaceわに へ、Chiharu先生の陰ヨガ養成講座に来ています。
10月にワークショップを受けた時には、その解放感たるや全身のちからがぬけて、もう何をこんなに力んで生きてきたんだろうって言うくらい体が楽になって帰っていきました。
帰り道の片道3時間近くの運転も、せっかく陰ヨガした後でまた疲れちゃうんじゃないかっておもっていたのですが、ぜんぜん。
陰ヨガで癒されて、運転の疲れも全然感じないほどにからだが軽くなったんです。
と・こ・ろ・が。
いや、癒される。癒されるんです。
「スタジオのひとは1回目のチーンで起きてこなかったので・・・」
と先生が言われていたから
(というか1回目で起きてるつもりだった。寝入ったつもりなんてなかったからびっくり!)
最後のシャバーサナで眠ってたんでしょう。
奥底まで行きかけてるのを、チーンという音で必死に戻ってきて、というのを繰り返していたような気がするのに、それに気づかず眠っていたとは。
でも、養成講座の中で行われるプラクティスは、部位に特化したプラクティスを70〜90分行うもの。
初日の昨日は、背骨をターゲットにしたプラクティスと、股関節をターゲットにしたプラクティスをしたんですが、股関節、やばい。(語彙)
自分の感情に素直になれていない人は股関節が硬い、と言われていて、股関節にアプローチすると泣いてしまう人もいるのだそう。
もれなくわたしも股関節はとんでもなく硬く、前屈しようとしても太ももの裏のハムストリングスが硬くて、
「それ前屈してますか?」
レベル。
開脚なんて、できません。
そんなわたしでも、股関節に刺激を与えつつからだのちからを抜けるように、ブランケットやヨガブロックやボルスターと言われる長いクッションのようなものに身を委ねます。
陰ヨガは、マットの上で動いていく陽のヨガとちがって、骨や関節をターゲットにして、曲げることで圧迫を加えたり、伸ばすことでストレッチをかけたりする刺激を与えていくんです。
刺激を加えることと、ちからを抜くことがとても大事で、からだが硬くてもちからが抜けるようにサポートグッズを使います。
どんなポーズがいい悪い、ではなく、心地よくちからを抜けることが大事。
「ブロックまで到達しようと密かにがんばってる生徒さんとかもいるんですが、ブロックは目標ではなくちからを抜くための支えです」
とChiharu先生。
おう・・・。
ブロック目指して密かにがんばってたYO。
ちからを抜くこと、それが大事。
ブロックやサポートのものに身を委ねられたら、気づいたら意識はどんどん深い方へ落ちていきます。
感情解放の入り口。
陰ヨガを体験したときに、感情解放だなって感じたのは、陰ヨガをしている最中に走馬灯のようないろんな映像が流れてきたからなんです。
夢なのか・・・?
思い出しているのか・・・?
何なんだろう・・・。
その映像が見えることで腹が立ったとか涙が出たとか悲しいとかそんな感情が湧いてくることはなかったんですが、その後で瞑想をして感情を手放していったことで、スッキリ流れていったような感じがします。
Chiharu先生も、スピリチュアルはどちらかというと敬遠していたにもかかわらず、はじめてした瞑想で、額に詰まった蓋がすぽーーーーんと取れたような感覚がして、涙が溢れてきたそう。
瞑想をすることで救われた、と、かなり瞑想推しのChiharu先生。
昨日は座学と陰ヨガのプラクティスだったんですが、今日からは瞑想もするって言われていたので、楽しみ。
夜は爆睡。
陰ヨガをして自律神経が整ったら、朝まで爆睡・・・・
かとおもったんですが、何度か目が覚めました。
それは、眠りが浅いというのではなくて、深く熟睡して「あーきもちよかったー。今何時?」と時計を見たら数時間しか経ってない、みたいな感じ。
そして、そこからまた寝ても、また
「あーーーーきもちよかったー。やばっ寝過ぎた!」
と時計を見たらまだ夜中、みたいな感じ。
睡眠の質自体は上がっているのかも。
と言うか、熟睡できてなかったのかもしれない。
今朝のジャーナリングではいつもとは違う、ちょっと深い部分が出てきたので、それは陰ヨガのおかげかもしれないなとおもっています。
あと2日。
講義はやっぱり疲れてしまうけど、プラクティスはきもちいいので、あとはやっぱり瞑想も楽しみすぎるので、今日もまた行ってきます!
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