「うわ、さいあくっ!」
飲もうとしたカップの蓋が半開きでカフェオレがこぼれてしまった。
・・・それも、オフホワイトのズボンのまんなかに。
ズボンのまんなかにこぼれたホットのカフェオレは、熱い、とこそ感じなかったけれど、その部分に薄い茶色が着いてしまって、それはダメでしょう、と腹が立った。
受けとったホットのカフェオレは、蓋が何かおかしい、と感じていて、2枚重なっているように見えるのに、外そうとしてもどうやっても外れない。
もういいや、とあきらめて飲んだ結果がこれだった。
最悪。
「蓋が2枚重なってたおかげで最悪な気持ちになりました」
と文句でも言って帰ろうか、とも思ったけれど、車で1時間もかけてきたのに、こんなことでさっさと帰るなんて報われない、と気を取り直して本を読むことにしたのでした。
本を読みに、わざわざ出かける理由。
1時間もかけて本を読みにマクドナルドに来るなんて、もったいない。1時間も運転していると疲れてしまうし、移動時間だけで2時間もかかってしまう。
そう思って、出かけるのをためらうことはよくあります。
もったいない。
本を読むのなら、家でだってできるし、考えごとだって、勉強だってできる。どこでだってできることを、わざわざ1時間もかけて別の場所に行くなんて、時間も労力もガソリン代ももったいない。
だから出かけることに躊躇するし、直前まで迷ってしまう。
でも、そうじゃない。
どこでだってできることではあるけれど、ここではないどこかへ行きたくなるのだ。
仕事に行くと仕事中の顔とあたまをフル回転させなくちゃいけないし、家では家用の顔をしている。そこまでオンではないけれど、家族と暮らしている以上、完全なるオフでもない。
なんの役割もない、なんの仮面もつけていない、まっさらな自分でいる時間が、人には必要だ。
追加で頼んだカフェオレはちゃんと蓋が1枚で、しっかり閉まっていた。
今読んでいる「せいいっぱいの悪口」を読み始めると、一気に集中して、ズボンの真ん中についたカフェオレには見えないシミのことなんかすっかり忘れてしまった。
すっかり忘れてしまえるほどに引き込まれて行ったし、集中できる環境だった。
おしゃれなカフェは、そこにいるだけで豊かなきもちになれるけれど、じぶんに集中したい時や、本を読みたい時なんかはそわそわしてしまって落ち着かない。
そこにいてもいなくても、何も変わらないみたいに放っておいてくれて、マイペースでいることを許してくれる空間が、じぶんを取り戻す時間を過ごすには必要なのだ。
大切なひとと過ごす時間はもちろん大切だけど、ひとりでいる時間もわたしにとってはとても大切。
きっとほんとうは、誰にとっても。
この世界でたった一人、代わりになるひとなんてどこにもいない、じぶんと、誰のことも気にすることなく過ごす時間をつくることで、ほんとうの気持ちに気がつくことができるし、その時間を楽しむことができる。
1時間もかけて、本を読みに行くなんて。
そんなふうにも思ったりするけれど、そこにはそれくらいの価値があるし、わたしにはそのくらいの労力をかけて、時間と空間を与えてあげる価値がある。
もちろん、これを読んでくださっている、あなたにも。
だから、贅沢に思えるそんな時間をこれからもつくっていきたい。
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