「なんか違うような気がする・・・」
これをやったら1日が気持ちよく過ごせる。そんな手応えはあったものの、そのために朝起きてから朝ごはんを食べるまでのルーティーンに、ほんの少しの違和感を感じていました。
朝起きてから、朝さんぽに行くまでを分単位でこなすようになっていました。
気持ちよく過ごすためのルーティーンが、分刻みのスケジュールって、なんか違うような気がする・・・。
ルーティーンの崩壊
そもそも、朝にウォーキングをしたいなぁと思ってはいたものの、なかなか実行に移せなかったにもかかわらず、すんなり始めることができたのは、CITTA手帳考案者の青木千草さんの影響でした。
CITTA手帳を使い始めたばかりのわたしは、千草さんが「朝さんぽはメンタルにいい!」というそのひとことで、翌日から朝さんぽを開始しました。
それも、千草さんが朝6時半頃からインスタライブをされるので、それを聞きながら散歩する、というのが楽しみの一つになりました。
その後、5時〜5:30の朝活に参加するようになって、朝活が終わってすぐに歩きに行くと、ものすごく気持ちがよくて、海の近くなので真っ青な空と海の景色をひとり占めできるその時間が至福のひとときとなったのです。
小さな漁師町で、みんな朝は早く、そして狭い。誰が誰かを知っている世界で歩くのは嫌だったので、誰もいない5:40頃から歩くのが心地よくてたまらなかったのです。
朝活が終了後も、その時間に朝さんぽをしようとすると、4時に起きて、瞑想をして、ストレッチやトレーニングをして、太陽礼拝をして・・・と、半年くらいの間に朝のルーティーンが増えていき、分刻みでしていかないと朝さんぽの時間に間に合わないような状況になったんです。
「なんか違うような気がする・・・」
そんなふうに感じ始めてはいたものの、どうすることもできないまま、冬になり、朝歩こうと思っても、真っ暗な夜道を歩くのが怖くて、朝さんぽをやめました。
豊かさは、立ち止まらないと味わえない。
冬が明けはじめた頃、少しずつ、朝さんぽを再開できるようになりました。
そして、毎日のルーティーンとして朝さんぽがようやく復活したのはここ数日のことです。
前と同じような朝のルーティーンをしているのにも関わらず、なんとなく心の余裕が違うなと感じるようになりました。
なんでだろう・・・。
ふと振り返ってみると、朝さんぽの時間が30分〜1時間くらい遅くなっていることに気がつきました。朝さんぽを遅くしている分、朝の時間をゆったりした気持ちで過ごすことができているんです。
朝さんぽの時間を遅くしても、今のところそんなに人でごった返していることもないし、そんなに歩きにくくもない。
ゆったりした気持ちで過ごせるようになると、なぜか夜もゆったりした気持ちでいられることが増えたような気がしています。
豊かさは、立ち止まらないと味わえないんだよ。
本田晃一さん
本田晃一さんが、こう言われたとき、ハッとしました。
けっこう自分で忙しくしていることはある気がする。
あれもやりたい、これもやりたい、このためにはあれとこれとそれもしなきゃ。
頭の中をせわしなく動かしていると、いつもなんとなくからだが緊張して焦っているつもりはないのに焦っている状態になっています。
ルーティーンは、どれも、心地よくすごすためには必要なことばかりで、削ってしまうとなんだか不消化になってしまうし気持ち悪い。
でも、削らなくてもゆったりと過ごせる方法が、実はあったんです。
わたしたちは、「こうだからこうしなきゃ」って思い込んでいることがたくさんあります。
思い込んでいると、ほんとうは道があるのに、抜け穴があるのに、それが見えなくなってしまうんですよね。
それが見えないと、気持ちよく過ごすためのルーティーンが、こなすことが目的になってしまって分刻みで動かなくちゃいけない本末転倒なことをしてしまう。
そうならないためにも、違和感を大切に、違和感に気づいたら一回立ち止まってみることも必要なのかもしれません。
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