「あいたたたた・・・・」
ため息をついて鏡を見ると、両方のほっぺが腫れている。
やってしまった。
初めてのことだった。
抑えられない怒りを自分に向けてしまった。
初めての自傷行為。
「死ねばいいのに」
親とけんかをして、そう思った矛先は、自分だった。
数年前のことです。
何が原因だったのか、何についてだったのかは、まったく覚えてないのですが、どうしようもなく腹が立って、親と暮らし始めて逃げ場のなかったわたしは、外を歩きながらじぶんの顔を何度も何度も叩いていました。
死ねばいいのに。
消えればいいのに。
浮かんだことばにゾッとして、その矛先がじぶんであることに気がついて少しだけホッとする。
抑えようのない怒りは、逃げられないじぶんという存在に、じぶんの顔に向けられたのでした。
明らかな自傷行為はこのときがはじめてで、そしてそれから今までしたことはありません。
でも、それまでは割と自分を責める癖は強くありました。
職場で同期のグチを聞いていても、「遠回しにわたしのことを言っているのかも」と思ったり、ひとり暮らしで親から送られてきた野菜を忙しくて調理することもできずに腐っていくのを見て、ものすごく責められているような気持ちになったりしていました。
そんな自分を責める癖が強くあったわたしが、今はそんなことがあったことさえも、すっかり忘れるくらいになりました。
今では、じぶんの存在を愛おしいと感じられるほどに。
もちろん、じぶんが嫌になることもありますが、それもひっくるめて受け入れられるようになったのは、ここ1年のおおきなおおきな変化だとおもっています。
ここまでじぶんを愛おしいと感じられるようになってきたのは、どうしてなんだろう、と考えてみました。
自分を愛するってなんだ?
「セルフラブ」ということばさえ知らなかった、1年とすこし前。
「もうこの現実を変えたい」と受けたコーチングのグループセッションの中で出てきたのが「セルフラブ」ということばでした。
それも、そのグループセッションの中で説明されるわけではなく、講座の中でチラホラで聞こえてくるそのことばが、重さを伴ってじぶんの中に入ってきたのでした。
・・・セルフラブって、なに?
現実を変えていくための、じぶんを変えていくためのキーワードであることは間違いなさそうで、そこからセルフラブとはなんぞやと探求の旅が始まるのでした。
でも結局納得のいく答えにたどり着くことができず、ヒントがありそうだと感じたのがヨガだったんです。
そこで、この先生から学びたいとたどり着いた先生のところでヨガ講座を受けることにしました。
その講座を受けてはじめたあることが、じぶんを愛おしいと感じられるようになったのに大きく影響しているんじゃないかと思うんです。
それが、
\\ 心の観察をすること //
です。
ヨガ講座の中で、みんなで先生に「こういう時はどうしたらいいんですか? どう考えたらいいんですか?」と質問をしていました。
その時の答えは、
「ああ、これにイライラしているなーとか、こう感じているなー、と観察するだけでいいんです。そう感じてるんだね、と、微笑んでその心の動きを観察してあげるだけでいいんです」
と言われていました。
観察するだけ。
そうか。
そう言われて、ただただ観察することだけを続けていきました。
もちろん、ヨガ講座の中の課題として「じぶんに正直でいるかどうかを観察してみよう」とか「貪っていないかどうか観察してみよう」なんていう課題に沿った視点からの観察をしていた時期もありました。
でも、今はただただ、観察するのみです。
「あああああーーーーイライラするっ! イライラ・・・イライラ・・・イライライライライライライライラーーーーーーーーー!!! キイーーーーーーーー!!!」
と、頭から煙が出ることも。笑
観察はするけど、噴火もする。
これでいいんだろうか、と思ったりもします。
でも、じぶんを愛おしいと感じられるようになったいちばんの理由は、ここにある。
\\ じぶんの声に耳を傾けていること //
自分を愛するって、よく言われます。
じぶんの欲求を満たしてあげる。
じぶんの本音に気づいてそれをしてあげる。
いろんなことが言われるし、いろんな言い方をされます。
が、
正直わからん。
「で、本当はどうしたいの?」
そう突きつけられても、本当はそうしたいけど、できないんだよぅ!
ってことがよくあるし、本音に気づいているのに叶えてあげられない自分が見えてしまう。
あとは、
そうは言われても、本当はどうしたいのかなんてよくわからない・・・
ということも。
「心を観察する」ってことは、
あー今イライラしてるな、・・・焦ってるなー。
あ、今ちくっとした。・・・あの言葉に傷ついたのかな。
あ、今なんか引っかかった。あの言い方なんか引っかかるな。
っていうふうに、心の動きをただただ観察していきます。
そうすると、ちくっとしただけだったり、ざわっとしただけだったらなかったことにしていた心の痛みや揺らぎに気がつくようになるんです。
気がついたら、「よしよし、嫌な気持ちになったねー」って慰めてあげることができるし、そういう言葉に傷ついたじぶんに気づいてあげることができる。
ふつうに暮らしていたらなかったことにしていた感情の揺らぎを、ちゃんと気づけるようになるんです。
これが、自分を愛するってことに繋がってるじゃないかと思うんです。
あくまでこれはわたしの体感ですが、心を観察することの効果は、急激ではないけれど続けていくとかなりパワフル。
ちいさな違和感や痛みに気づき、寄り添うことができますように。
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