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納得する人生を決める方法ってこれしかない

「看護師になる」

そう決めたのは、中学生の頃だったとおもう。

使命感なんてぜんぜんなくて、テレビで見た、「ナースのお仕事」がすきだった。

ただそれだけの理由だった。

そもそも「ナースのお仕事」って観月ありさ演じる新人ナースの朝倉いずみが

おっちょこちょいで失敗して、

先輩ナースの松下由樹に怒られるドラマ。

「あーさーくーらーーーーー!!!」

「せんぱーーーーーーい!!!」

と怒る松下由樹と観月ありさのかけ合いがおもしろかった印象しか残ってない。

このドラマのなにを見て看護師になろうと思ったのか、当時の記憶はまったくない。

だけど、「おもしろそう」ただそれだけで看護師になることを決めた。

人生ってわからないよなっておもう。

おとなになればなるほど、

人生経験を積めば積むほど、

なにかを決める時に多くの人を納得させるような大義名分が必要な気がして、そんなものが見つからなくて結局やめる、ってことが多くなってしまう。

「おもしろそう」

それだけで決めた看護師というしごとは、はじめて20年近くたつ今も、だいすきだと胸を張って言えるしごとになった。

それでも最初から持っていた想いもあって、それは、

\ そのひと全体をお手伝いしたい /

という想いだった。

「病気を治す」ことへの魅力よりも、お手伝いがしたい。

治療よりも、サポート。

当時はうまく表現できなかったけど、

病気の部分だけをみるんじゃなくて、そのひと全部をみたい。

そうしているうちにおじいちゃんが肺がんで亡くなった。

おじいちゃんに肺がんだっていうことを伝えなかった母が、これで良かったのかな、と読んだという本をもらった。

それが、人生の転機となった。

その本の中には、余命わずかなのにそのひとらしく生きている姿があって、こんなふうに生きていくをお手伝いしたい、そう強くおもったのだった。

残された時間をじぶんでわかっていて、自分史を書いたり、生きているうちに作品を完成させたり、大切なひとと語り合って過ごしたり。

みんなが「じぶんは、ここに生きてるんだ」って言ってるような気がした。

命が輝いて見えた。

誰もがいつかは消えていく命を生きてるのに、そんなことないみたいに生きていて。

でもここにいるひとたちは、命の終わりをちゃんと受け止めて、残された時間をたいせつに、ていねいに味わって生きてるように見えた。

「どうせ死ぬのになんで生まれてきたんだろう?」

小学生の頃に抱いた疑問のこたえがここにあるような気がした。

終わりがある。

絶対に死ぬ。

だけど生まれてきたことの意味。

それは、生きているからこそ味わえることを味わうためなんじゃないかとおもう。

おいしいご飯を食べることも、

たいせつなひとの声を聞くことも、

抱きしめたときの温もりも、

大好きなひとと笑い合えることも、

絵を描くことや本を読むこと、大好きなものに夢中になれることも、

ぜんぶ、生きているからこそ、味わえる。

じぶんが何をたいせつに思っていて、誰と過ごしている時間がしあわせなのか。

それを丁寧に味わっている姿に、心が震えたのだった。

「わたしもそれがしたい」

心が決まった瞬間だった。

結局ホスピスで働くことは選択しなかったけど、

根底にある想いは変わらない。

「おもしろそう」ただそれだけで、決めたことが、そこから先のいろんな出会いや経験を経て、今にたどり着いている。

人生はもっと軽やかでいいのかもしれない。

なにかを始めるための大義名分なんてなくていいし、

なにかをやめるのに理由なんていらないのかも。

でもそこに絶対的にあったほうがいいなとおもうのは、

じぶんの中のセンサーが反応することだとおもう。

「あ、これがいい」

「あ、これやりたい」

答えはじぶんの中にしかない。

だからこそ、どんな小さな声でもいい。

じぶんの中の反応をたいせつにして、動いていけば、それが結果じぶんの人生になっていく。

それを積み重ねていったとき、「この人生、最高だったな」って思えるんじゃないかとおもう。

だから、日々忙殺されてしまう小さな声を、

無かったことにしてしまう違和感をもっとたいせつにしてもいいんじゃないかと思ったりする。

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