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無意識にかけていた呪いの正体

「意識高い系なんじゃなくて、病気のための紫外線対策なんです」

駐車場から日傘を差して職場に向かうたった数分のあいだ、言い訳のように心のなかでつぶやいてるじぶんに気づく。

全身性エリテマトーデス(SLE)になってから、駐車場から職場に入るまでのたった数分の間にも日傘を差すようになった。

夏でも長袖を着て、日傘を差して歩く。

それは、紫外線が病気を悪化するから、元気でいるためには必要なことだった。

だけど、駐車場から職場へのたったの数分、日傘を差してるひとはいない。

そんな短い間にも日傘を差すなんて、よっぽど美意識が高いんだろうな、と思われそうな気がして、誰になにを言われたわけでもないのに、勝手に心のなかで言い訳のようにつぶやいている。

そしてふと気づく。

なんで言い訳してるんだろう。

誰に、なにを言われたわけでもない。

ない、はずなのに、ときどきふと思い出しては心のなかで言い訳をつぶやいている。

美容のため、というのがひっかかる。

小さい頃からアトピー肌のわたしにとって、美容なんて遠い異国の話でしかなかった。

「かわいそうね」

通りすがりのおばちゃんに、アトピー肌の皮膚を見て言われたことがあった。

わたし、かわいそうなのか…。

痒くて掻きすぎて、眉毛が抜けてうっすい眉毛になってた時期もあった。

小学生の頃、好きな男のこに「エイズ」と言われたこともあった。

わたしにとっては、美しくとかかわいくなるとか以前に、

「ふつうの皮膚になる」

ってことが最重要課題だったのだ。

そんなわたしが、美容のために日傘を差してるなんて、恥ずかしすぎる。

実際、美容のためにではないけれど。

でも、美容のためにしてると思われることがとてもじゃないけど恥ずかしい。

だからこそ、誰に言われたわけでもないにもかかわらず、心の中で言い訳をつぶやいている。

実は他にも思い当たることがある。

腸活について学んできたなかで、ビタミンCを疲労回復や免疫のために飲んでいる。

そのビタミンCについても、まったく同じことが言えてしまったのだ。

もちろん、元気でいるために飲んでいるから間違ってはいないのだけど、じゃあ美容のためにビタミンCを飲もうと思えるか、と言われると、真っ先に削る部分でもある。

マイナスからゼロに向かうために行動するのはOKだけど、プラスの方向へ向かうための行動に許可が出せてなかったのだ。

これって、不幸なじぶんでいることにはOK(もちろんそこを抜け出そうという気はある)だけど、幸せになることに許可が出せていないってことなんじゃなかろうか。

うっわ。

それじゃ、今よりプラスの状況へなんて行けるはずないよね。

アトピーなじぶんでもOK。

どんなじぶんでもOK、だとして。

どうなりたいかまで、どんなじぶんになってもOKってとこまで、制限する必要なんてない。

仕事中、鏡を見てボサボサになった髪の毛を整える、ってとこにも実はほんの少し、いやまあまあ抵抗がある。

そこには小さいけれどはっきりと聞こえる声がある。

「かわいいと思ってんの?」

怖いよう。

かわいくないと思ってるのは、他でもない、わたしだったんだ。

かわいくなれないと思ってるのは、かわいくなろうなんて1万年早いんだよって思ってるのは、他でもないこのわたしだったんだ。

そうだったんだね。

まだ、かわいくなることや幸せになることに対して抵抗があるじぶんがいたんだね。

そうしてぎゅううううっとそんな想いを抱きしめる。

きっとわたしを守ってくれていた、思い込み。

今はもう手放して、次の世界に進んでいこう。ありがとう。

これからは、幸せになってもいい。

かわいくなっていい。

美しくなっていい。

めっちゃ恥ずかしいな。

だけど、

\わたしが惚れる、わたしになる/

ことにした。

だって、人生80年。

わたしが惚れる、わたしになるのに、まだまだ遅くないでしょ?

見つけた思い込みは、明るい方へひっくり返す。

その繰り返しできっと未来は明るくなる。

だから今日から、『わたし』が惚れた、『わたし』で生きる。

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