「どうしましょう。家族呼びますか?」
起きなきゃ、起きなきゃ、と思っていたときにかかってきたモーニングコールがそれでした。
それは、看護師歴16年目にして、はじめて見た、〈 豊かな、死 〉だったのです。
最期まで食べさせてあげたい
わたしがその方と出会ったのは、亡くなる数年前でした。
担当になったのはここ2年。すこしずつ、すこしずつ、死が近づいていく中でちゃんと向き合うようになったのはここ半年くらいのことです。
数年前から食事にムラがあり、なかなか出された食事を全部食べるというのがむずかしい方ではありました。ご家族にお伝えしても「家にいたときからです」と言われ、その方の個性なのだろう、と考えていたのです。
ときどきムセることがでてきたことで、ご家族と今後のことについて話し合いをするようになりました。
何度か話し合いを重ねた結果、
「食べられるものを食べられる分だけでいい」
ということになりました。
でも、ご家族は、できればもう少し長生きしてほしい、そんなご希望も口にされていました。
食事を止める
微熱が出るようになり、なかなかその微熱もスッキリ下がらないことから、一旦食事を止めることにしました。
その後、熱は落ち着き、目もぱっちりと開いて、以前のようなしっかりした表情も見られるようになっていました。
でも、食事再開には踏み切ることができませんでした。
病院のように、専門の人にすぐに相談できるわけでもなく、また、先生もすぐそばにはいない。
その状況で、前に進もうとすることが難しかったのです。
ですが、ぱっちり目が開く時も増えてきて、熱も落ち着いているので、とろみのついた水で飲めるかどうか確かめてみることにしました。というのも、いまだに誤嚥性肺炎で入院したら絶飲食とする病院も多いけれど、できるだけ早めに食事を再開したほうがいい、と言われるようになってきているからです。
それに、わたしの中で、目がぱっちり開いていて、もしかしたらまだ食べられるかもしれない状態のひとを絶食にしてしまった、という罪悪感もあったと思います。
食事がまた少しでも食べられるようになれば、ご家族の希望通りもう少し長く生きていられるかもしれない。
でも、2回行った水飲みテストは、ムセ込みもあって食事を始めるのはやっぱり難しいかもしれないという結果でした。
死が近い、かもしれないことを家族と共有する
ご家族の中には、本人を目の前にしても、「死が近いかもしれない」とあまり感じられない方もいらっっしゃいます。
見た目ではわからないこともあるのでしかたないこともあるのですが、状態を伝え、死が近いかもしれないことをお伝えしました。
そしてここでも何度かお伝えしていきました。
介護士さんのちから
病院ではあとどのくらいで命が終わりそうだろうか、心電図モニターや血圧などなどを駆使して一生懸命考えます。
「ご家族がけっこう遠いからこのくらいには連絡しておいたほうがいいね」
「10分くらいで病院につくからもうちょっと待って連絡してもいいかも」
など、ご家族がつきそいに疲れ過ぎず、でも、最期のときに間に合うように考えて連絡するのです。
ですが、介護施設ではそういうわけにはいきません。
心電図モニターはないし、あっても読み取る看護師は夜はそこにはいないのです。
それに、夜は3人で70人の入居者さんを見て回らないといけません。不思議なもので、みんな同じような時間に一斉にトイレに行こうとしたり、動き出したりするんです。
あっちでコールがなり、こっちでは眠れない人が起きてくる。
そんな状況で、タイミングよく家族を呼ぶことは難しいんです。
ですが、そんな忙しいなかでも、なんどもなんども状態を見て、観察してくれていた介護士さんのおかげで、ベストなタイミングでご家族に連絡することができたのです。
しっかり観察をつづけてくれた介護士さんからの、モーニングコールだったのです。
豊かな死
状態を見て、もう残り数時間だと思ったので、すぐに家族へ連絡し、来られて1時間もたたないうちに、ご家族に見守られながら息を引き取っていかれました。
その様子を見て、『豊かな死』だな、そう感じたのです。
病院では、何もしないと決めていても、心電図モニターがついていると、心臓が止まるかもしれないその瞬間、先生もご家族も、みんなモニターを見ている、という場面に出くわすことがありました。目の前に、今死にゆくその人がいるというのに、です。
もちろん、もうだめだとわかっていても心臓マッサージを繰り返さなくちゃいけない場面も経験しています。
そうでなくても、うめき声のような声が出たり、息が苦しそうだったりして、見ているこちらが辛くなるような最期は多くあります。
ですが、呼吸が少しずつ減っていき、徐々に止まる、その瞬間を家族に見守られながら息を引き取られたその様子は、なんだか豊かだなと思うと同時に尊いなあと思ったのです。
そんな最期に出会わせてもらえて、とてもしあわせです。
いい経験というのはいつも、自分の力ではなく、まわりのひとに助けられてできるんです。どのひとも欠かすことができないすばらしい存在。
まわりに感謝しながら、またこんなしあわせな場面のひとつのピースになれるよう自分を磨いていきたいなと思うのでした。
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