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病気をどう捉えるかは、自分で選べる。

自己免疫性肝炎になったとき、

「もう好きなことして生きよう」

そう、思いました。

で、仕事もやめて、好きな写真を通して誰かの背中を押せたら・・・と、写真を撮ってもらっている人がどんどん自分らしく羽ばたいていく人のところへ学びに行き、その仕事をはじめました。

でも、やってみて、なんか違う。

美しく着飾った、整った、見栄えのいい写真を撮ることよりも、そのひとの素顔の美しさというか、ありのままのその人が見えた瞬間の美しさが魅力的でそれを撮影して伝えたかったんです。

写真や事前カウンセリングを通して、写真を撮ることでカンセリングのようなことができたらいいなと思ったのですが、うまくいかなくて、やめました。

どうしていいかわからず、まずはもう一度足元を整えてから始めよう、と就職することに。

就職してから数カ月後、今度は「全身性エリテマトーデス」になったのです。

これを聞いて、どう思いますか??

目次

病をどう捉えるか。

病気になったんだから、安心して雇ってもらえるところで働いていればいいじゃん。

変なことしようとするからこんなことになったんだよ。もうそんなことしようとするのやめて、ちゃんと就職したところで仕事しよう。

・・・とおもうのか。

わたしは、そうは思わなかった。

わたしは、こうおもったんです。

「人生のリセット期だ」

うまくいかない時期があって、からだがきつすぎて何も考えられないくらいになって、診断がついたときは、ホッとした。でも、正直「今感染したら死ぬかも」とおもうほど薬の副作用で白血球が少なくなった時期を経て、思ったのは、今は人生のリセット期なんだ、ということだったんです。

土台をととのえる時期。

病気になったとき、そのこと自体で自分を責めたりする必要はまったくないとおもっています。

病気になるものはなるし、そんなの自分が原因じゃないことだってたくさんある。

わたしの「自己免疫性肝炎」や「全身性エリテマトーデス」だって原因不明と言われる難病という病気です。

病気を生まれ持ってきてるひとだっている。

だから、病気は病気でそこにあるんです。

でも、病気をどうとらえるかは自分で選べるんです。

「病気になった・・・わたしはこれから病気の人として生きていくんだろうか・・・」

と、入院中、ほんのすこし思いました。

病気の人ってなんだよ、とつっこみたくなる。

わたしは、わたしであって、わたし=病気のひと、ではないんです。

「わたし」を構成する要素のひとつに病気、は確かにそこにあるけれど、正直言ってそのパーセンテージはそんなに大きくはありません。

診断された直後は、いろんな感情が湧いてくるとおもうんです。

それはしかたのないこと。

だけど、ひとしきり悲しんで、否定して、怒って、泣いて、湧いてくる感情を味わったら・・・

「さぁ、これから、どうする?」

ってこと。

病気を、自分らしく生きるきっかけのひとつにするのか、暗い人生の始まりにするのか、それからの人生は選べるんですよね。

いつだって、そこから始めたらいい。

「透析になる前にハワイに行こうよー」

信頼していたひとのことばに、なかなかの衝撃を受けました。

全身性エリテマトーデスのひとは、透析になっているひとが多いのだそう。それに、わたしの腎生検の結果もなかなかに悪く、Ⅳ+Ⅴ型という、教科書的には予後の悪いものだったんです。

だから、透析になることが前提の話をされて、まあまあショックだったのを覚えています。

でも、SLEとして生活し始めてみると、透析をしている人もSNSで見たりはしていたけど、それよりもふつうに生活していたり、むしろ、だからこそ夢を叶えたりいきいきして生きていたりとそんな人ばかりじゃないことがわかりました。

不安がたくさんあった当時は、透析になったらどうしよう、ってことも考えたりもしました。でも、

なったらなったで、そのときそこから考えよう。

それがわたしの出した答えでした。

困難にぶち当たったら、その時、その時点から自分らしく生きるにはどうしたらいいかなって考えればいい。だってそうするしかないし。

だから、今は今を生きるしかない。

病気になったとき、悲しいことはたくさんあるし、なにより体がつらいです。

でも、そこから先の人生は選べるんですよね。

自分のちからではどうしようもできないことに、憂慮するんじゃなくて、自分で選べることにエネルギーを割いていったほうが、人生絶対楽しい。

そんなふうにおもうのです。

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