毎年、上半期と下半期の頃になると、しいたけ.占いのしいたけ.さんがインスタグラムでインスタライブをされるんですが、この2022年上半期のインスタライブのなかでこう言われてたんです。
おうし座はマシンの人って思ってるんですね。人生の中でこれの生活を繰り返したら倒れるってくらいの、修羅場期間が多く設定されてる人なんですね。
病院の急性期の部署で働いていたとき、3年目まではレポートというのがあって、ちゃんと理解しているかどうかを指導者がチェックするっていうシステムがあったんです。
もちろん、命に関わる場所だから、それも、命に素手で触るような感覚の部署(手術室ではない)だったので、しっかりと勉強していないといけなかったんです。
そこで、3年目までは、毎日のようにテーブルの周りに参考書が散乱し、試験勉強をしながら仕事に行く、というような暮らしだったんです。
レポートも締め切りがあったし、徹夜こそはしなかったけれど、仕事が終わったら食事やお風呂もそこそこに勉強してレポートを作成する、という生活です。
なかなか大変だったけれど、勉強したことが次の日すぐに役に立つような場所だったので、勉強もやりがいがあったしおもしろかったんです。
でも、後輩が入ってきてレポートの提出期限を守っていないことを知るんですよね。
期限を守らないってどういうこと?
レポートも仕事のうちだと思っていたし、自分自身がそんなふうにがむしゃらにやってできていたことだから、できないっていうことがわからなかったんです。
「できないよね」
あとから入ってきたけど年齢は上の後輩が、そんなふうにできないことを悪びれずに「できない」と言うことはびっくりもしたけれど、今になったら、わかります。
人による。
というか、できていたのはわたしがマシンのようにがんばれるひとだからなんですよね。(もちろん、他のひとはだいたいできていたし、私以外みんなできなかったわけではありません。)
でも、ひとによって優先順位は変わるし、体力や気力もちがう。
一人暮らしで、生活のすべてを仕事に投げ売っていたような時間を過ごしていた暮らしを経て、今は家族と一緒に暮らしています。
病気にもなって、年齢もあるけれど、疲れやすさは実感としてすごくある。
流れてきた時間のなかで、<ひとそれぞれ違う>ということを学んでいっているような気がしています。
当時は、仕事への力の入れ具合の違いを感じることが少しあったけれど、今は価値観の違いがあるんだということも学んでいる時期なんだろうなとも思うのです。
完璧主義で一生懸命で全力投球だった生き方から、すこしずつ余白をつくって遊びをたのしむような、そんな生き方にシフトしていけたらな、と思っています。
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