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治ると思うよりも大切なこと(第5回膠原病交流会を開催しました)

「治ると思えないんです」

膠原病交流会の中で出たことばでした。

今年の2月から始めた膠原病交流会。

もともとは、わたし自身が6年前にSLE(全身性エリテマトーデス)を発症した難病患者で、SNSを通して知り合った、看護師でSLEの娘さんを持つヘルスコーチの山本香織さんと、おなじ患者さんたちと情報交換ができる場が欲しいよね、とはじめたもの。

当初は「SLE交流会」としていた。

情報収集と向上心あふれる香織さんが、難病克服ガールズのくみねー♪さんと出会い、ゲストで来ていただけることになったことから、

「SLE交流会」あらため、「膠原病交流会」へと変えたのでした。

患者本人や患者家族の集まりだった交流会へ、難病を克服したゲストが来てくれるようになって2回目の会が行われたのでした。

目次

入院中に知っていた難病克服した方たち

そもそも、難病である膠原病は、一生薬を飲み続けなければいけない。

「病気は治りません」

と言われる。

交流会に参加された方の何人かはそう思っている様子で、そう思うのも無理はない。

だけどわたしは、「ほんとにそう?」と思ってた。

新人看護師だった頃、患者さんのご家族から「足の裏にこれを貼ってあげてください」と謎のテープを渡された時には、「なんじゃこりゃ・・・」と思っていた。

こんなの信じる人がいるんだな、と。

でも、いろんな経験を経て、西洋医学が絶対じゃないことがわかっていた。

もちろん、トンデモ医学と呼ばれるものもあったりするから、情報が確かかどうかはちゃんと見極める必要があると思っている。

だけど、

「西洋医学は治せなくても東洋医学ならなんとかなったりするんじゃない?」

と入院中、膠原病の医学書を購入したり、ネットで調べたりしていたのだった。

そこでたどり着いたのが、難病克服ガールズという存在だった。

「難病を克服した人たちがいる・・・?」

寝たきりだったところから、元気になったヨガをされている方など、難病克服ガールズとして活動していない人たちにも元気になっている人がいることもわかった。

だけど、入院中はいわば急性期。

薬で体調をコントロールしなくちゃいけない、いちばん変化の激しい時期。

この時に、「断薬」ということばは、わたしには刺激が強すぎた。

だって、絶対的に興味ある。

薬なんて飲みたくない。

病院に勤めていながら、病院に行かずにどうやって治そうかと考えていたタイプだった。

魅力的に違いない。

だけど、これでもいちおう看護師の端くれだ。

今、薬が必要なのはわかってる。

だから、魅力的なそのことばには近づかないようにした。

だけど、それ以外の部分はいろんな方のブログを読み、こころの見直しをしてみたり、感謝をしてみたり、入院中にできることはなんでもやった。

「薬でこれ以上なにもできないなら、もう家に帰りたい」

そして、退院の日は突然やってきたのだった。

病気への感謝

退院直後は、薬の影響がおおきくて、ムーンフェイスで顔がぷっくりしたり、カリウムの値が高いし、ループス腎炎もあったので塩分制限をしたりして、何を食べてもいいのか、何を食べたらからだに毒なのか、真っ暗なトンネルの中を歩いているみたいだった。

それでもそんな生活にも慣れ、なんとかなると思っていたわたしは、とにかくできることからやっていた。

入院中に落ちた筋力を取り戻すべく、ヨガをしたりコアトレーニングをしたり。

少しずつ元気を取り戻してきた頃に、コーチングのワークショップにも参加した。

ちょうどコロナが世界に広まったおかげで、オンラインで学べたり交流ができたりするようになって、体力が落ちたわたしでも世界との交流ができたのは、運が良かったとおもう。

入院直前には、水が溜まってパンパンだったからだも、治療のおかげで人生で初めての体重までスリムになった。

薬の副作用なので、すてきな体型ではなかったけど、どうやっても痩せなかった体重が減ったのがいちばんうれしかった。ちゃっかりしてる。(今はこれ以上増やさない! とふんばってるくらいまで体重は増えました。苦笑)

じぶんを攻撃する病気になったのは、「ですよね」と思えるくらいには、これまでじぶんのことを責めまくって生きてきた。

だから、じぶんのことをたいせつに思えるようになるまで、だったり、完璧主義を卒業するまでの伴走者なんだろうな、と病気のことは捉えていた。

病気のおかげでもっと自分らしく生きていける。

もっともっとじぶんに戻っていいし、頼っていいし、自由に生きていい。

そんなふうに思っていた。

わたしは絶対、運がいい。

病気の意味を「体からのサイン」だと思っていたから、病気と闘うのじゃなく、自分らしく生きるための伴走者だと感じていた。

「えりちゃんは、運がいいからね」

入院中にいとこに言われたことばだ。

確かに。

浅見帆帆子さんの本「わたしは絶対、運がいい」のタイトルをこころの中でよく呟いていた。

思いこませるためだったかどうかはもはや覚えてないけれど。

治るかどうかよりも、

「わたしは絶対、運がいい」

と思っていた。

わたし自身のセルフイメージの中で唯一ポジティブなのが、これだった。

「難病は治らない」と医学界では言われてるし、診断されたらそう言われる。

だけど、治るかどうかよりも大切なのは、自分らしく生きていられるかどうかなんじゃないかと思っている。

自分らしくいられたら、この病気にはなってない。

もちろん、治るためにはメンタルだけじゃなく、食事や生活も変えていく必要がある。

だけど、根っこにあるじぶんはどんなひとなのかってことが、「治る」ってことが入ってくるかどうかに大きく影響しているのは間違いない。

息子さんの膠原病をお薬を使わなくても元気でいられるところまで伴走したお母さんである、まなべっちさんがゲストだった。

まなべっちさんも、お話の中で言われていた。

「運が良かった」

入院中の少年との出会い、難病が治ったひとたちとの出会い、そして今の主治医との出会い。

でもそれも、根っこにある「運がいい」っていう思いがあったんじゃないかとおもう。

難病は治る、とは言わない。

でも、わたしは治る、と思っている。

じぶんに対してどう思っているか。

プラスのイメージに変えることができたら、きっと世界は変わっていくとおもう。

わたしの大好きなMr.childrenの曲の一節にある。

すべては そう 僕の捉えかた次第だ

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