SNSのおかげで、おもしろそうな本にたくさん出会えるようになったし、オンラインショップのおかげでどこにいたって届けてもらえるようになりました。
でも、ポチにはない感動がそこにはあると、あらためて感じました。
本屋さんしか行きたいところがない。
本が好きで、都会に行ってもまずは本屋さんに行ったりします。
生活している場所の近く(と言っても車で30〜40分かかる場所ですが)にも本屋さんはあります。
でも、都会の大きな本屋さんは品揃えが豊富です。
参考書とか専門書を探していて、ネットでも買えるけど、わかりやすいかどうかとか、知りたい情報が載っているかどうかは、やっぱり実際に見てみないとわからないことが多いです。
それに、都会の大きな本屋さんは、田舎にはない本が置いてあったりして、見ているだけでわくわくします。
福岡とか東京とかそんな大きな本屋さんじゃなくても、住んでいるところよりも少しだけ大きな都市の本屋さんでも、品揃えも並べ方も違うので、やっぱり同じようにわくわくします。
別の用事で出かけたのですが、心はもう本屋さんにしかなくて。
欲しいなー、読みたいな、とおもっている本も実際に手に取ってから買うかどうかを決めたいんです。
だから、あるかな、と探してみたり、次に読む本を探してみたり、本屋さんの中を歩き回る間はもう、楽しくて仕方ありません。
なんなら、全部買っちゃいたいくらい。
でも、そんなわけにもいかないので、見ていたところ、気がついたら買おうとなんて思ってもいなかったものをお持ち帰りしていました。
時間系の本は、別の本を探していたのですが、思わず手に取ってしまいました。
朝散歩を提唱されている樺沢紫苑先生の著書!
とは知らずに、帯にコメントを書かれているのが樺沢先生なのかなと、この本の著者を必死に探していました。よく見たら、樺沢先生の本でした。
初の樺沢先生の本。
図書館で借りて読んだことはありますが、じぶんで買うのははじめて。
そして、森博嗣さんという方、SNSでエッセイがいいみたいなのをチラっと見たことはあって、いつか読んでみたいな、くらいのほんとうに微かにこころに引っかかっていたものが、小説に出会ってしまいました。
なぜか引かれて、最初の数行を読んでみたらもう、買うことを決めていました。
こういう出会いがあるのがいいんですよね。
場所に足を運ぶということ。
スマホでポチっとすれば、次の日か次の次の日には届けてもらえる便利な世界になりましたけど、でも、その場所に行くことで感じられることがあるんですよね。
スピリチュアルではないんですけど、本にもたぶんエネルギーみたいなものがあって、実際に触れてみたらその温度感とかそういうものが伝わってきて、ピンとくる、みたいなこともあるんです。
昔は、何か悶々と悩んでいることがあったら、本屋さんに行っていました。
本屋さんでたくさんの本と対峙していると、じぶんのもやもやの原因がわかるような気がしたし、それを解決できそうな本にビビッとくることがあったからです。
本屋さんはわたしにとって、相談相手みたいな場所だったんですね。
実際に手に取ることで感じられるものがあって、それって、その時にじぶんのエネルギーと合うかどうかがわかると思うんです。
いい本だったとしても、そのときの、例えばじぶんの疲れ具合だったり、テンションだったり、こころの満たされ具合だったり、そういう微細なエネルギーと本のエネルギーが交わって、「読みたいと思っていたけど、今日はこの本はいいや」みたいな感じになったりもする。
そういうのがわかるのが、本屋さんで選ぶってことなんですよね。
感覚を使うと満たされる。
本屋さんで、いろんな本と出会って、わくわくしていると、思ってもみなかった本との出会いやいろんな本に触れることができて、ものすごく満たされました。
気になっていた本も、実際に開いてみることで、じぶんと合うかどうかわかるし、そういう感覚を楽しめるのが本屋さんのすばらしいところです。
そんなふうにいろんな本と出会って、すごく満たされました。
枠を超えていくときって、わくわくしますよね。(ダジャレじゃなくて。笑)
ゆっくりとあたらしい世界に浸っていきます。
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