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暮らしのなかのデトックス

思っている以上に効果があるんだとおもう。

「すてきな人がしているから」とか「自分の本音に気づくため」とか、はじめたのにはいろんな理由があるけれど、続けてみると思っている以上にそれを必要としているじぶんに気づいたのです。

あるコーチング講座を受けたとき、その先生がモーニングルーティーンとして取り入れていると言われていたのがジャーナリングでした。

目次

あたまの中に余白をつくる。

以前、「ずっとやりたかったことをやりなさい」という本の中で紹介されていた「モーニングページ」という、頭に浮かんだことをノートに書いていくというワークをしていたことがあります。

ただ、30分もノートに向かう時間がだんだん取れなくなって、いつの間にかやめてしまったのでした。

フリーランスとはいえ、子育てをしながら働いている先生も毎朝しているというジャーナリング。わたしもやってみようかな。

そう思って、朝にノートに向かう習慣を再開してみたのがきっかけでした。

モーニングページも、ジャーナリングも、頭に浮かんだことをノートに書き出していくっていう意味では同じようなものだと思います。

朝起きて、頭に浮かんだことを書くことが、習慣として定着したのがいつかは覚えていないのですが、習慣化すると、ジャーナリングをしないとなんだか気持ちが悪い感覚を感じるようになりました。

朝だけじゃなくて、もやもやした時やイライラが止まらない時にも、ノートに浮かんだことを書き出すようにしています。

そうすると、気持ちがすっきりして、新しい時間を過ごせるようになるんです。

もちろん、1回や2回書いただけではすっきりしないこともあるし、たとえば車の中で大声でわーーーーっと叫んで発散したり、大声で歌って発散したり、とにかくイライラを体の外へ出すようにしています。

でも、叫ぶほどでもない日常のちいさな影や綿ぼこりのようなものって、そんなに気にはならないけれど、なんとなくこころがカサカサして、気がついたら山のように積もってしまっていませんか?

大丈夫なふりをして、なかったことにして、見なかったふりをして放っておいた綿ぼこりが溜まっていることって、気がつく時にはちょっとしたことでイライラしたり、いつもしないような失敗をしたりしてしまいますよね。

ちゃんとした文章じゃなくても、文字にして、いや、文字ですらなくても、書くことで思考のデトックスになるんだと思うんです。

わたしたちは1日6万回の思考を行なっていると言われています。

そんな思考を出してしまうことで、あたまの中に余白をつくり出すことができるみたいです。

苦しいブログもデトックスになっている?!

毎日のルーティーンとして、アウトプットするものはジャーナリングとブログです。

疲れていて、時間もないし、今日はやめようかな、と思ったものの、でも、と引っかかったのもこのふたつだったんです。

ルーティーンだから「やらなきゃ」というのではなく、「やりたい」と思ったんです。

ジャーナリングは、じぶんのなかの腹黒さも弱音も全部吐き出しているので、デトックスになることを実感しています。

だから、やりたいと思うのは不思議ではない。

だけど、ブログ?

ブログは、毎日産みの苦しみを味わっています。

毎朝、毎回、「書けない・・・」「何を書いたらいいのかわからない・・・」「ネタがないよう・・・」と、目から血を流しながら、パソコンに向かっています。

読んでいただきたいので、それなりに考えて、試行錯誤しながら向かっているからです。

なのに、なぜか、ブログも書きたい、と思ったんです。

どうしても時間がない時には夜に書いたりすることもあるんですが、朝型の生活スタイルにしていることもあるし、理由はただひとつ。

夜は、眠い!!!

以前、朝型じゃなかった時、夜にブログを書いていた時期には、パソコンを打ちながらカクンとなっていたこともあるほどです。どれだけ眠いんだ。

でも、産みの苦しみを味わいながらでも、伝えたいことをじぶんと向き合って捻り出し、調べたりしながらも文章にしていく行為は、スキルは未熟でもやっぱり楽しい。

そして、これすらも、デトックスになっているんじゃないかと思うんです。

文章を書くことは、簡単なことではないけれど(むしろむずかしい)、形にして表現していくことは、デトックス、というのかはわかりませんが、産んだ後の爽快感があるのかも。

いや、爽快感というより達成感に近いかも。

そんな達成感を味わうべく、今日も必死にパソコンに向かっています。

文章力も、内容もアップするべく、今後も遊びも勉強も、遊びも(まじめ女子、ここ重要)楽しんでいこうと思います。

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