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寄り添うということ。

毎日のジャーナリングや手帳タイムに使っている回転印のインクがかすれるようになってしまった。

購入してから毎日のように使っているから、たしかにそろそろインクがなくなる頃かもしれない。

で、インクの補充ってどうするの?

と調べ始めたところ、シャイニーというこの回転印の補充液を買って、インクパットに染み込ませる方法と、パットごと入れ替える方法があるらしいことがわかりました。

インクパットに補充液を染み込ませる方がコスパもいいらしく、補充液を買うことに。

でもインターネットでは、数百円の補充液に送料がかかってしまったり、なかなかスムーズに購入できる方法が見つからず。遠出する予定があったので、そこにあるLOFTで探してみることにしました。

すると、店員さんに勧められたのは、別のメーカーの補充インク。

確かに、似たような商品だし、別のメーカーでも代用できるはず。

ひとりで調べている間はそんなことにも気がつかず、教えてもらって、なるほど! と膝を打ったのでした。

「こうじゃなきゃ」と思ってるような思いこみとか、決めつけ、とかって意外と多い。

正しい知識を身につけて、その道の専門家だから詳しいんだ、と思っていることも、実はそうではないことだってたくさんある。

レイノー症状の戻り方がそのいい例です。

参照記事:コロナの影響か、レイノー症状が強い。

主治医の先生の方が、正しい知識を持ってるというのはたしかでしょう。

レイノー症状という、手先が白くなる症状が全身性エリテマトーデス(SLE)という病気にはあって、その手はお湯につけているとだんだん青くなったり、赤くなったりして、赤い部分の中に青い部分がもやもやと出てきて、それがしばらく続いて、ようやく手の色全部が赤くなって戻ります。

わたしの場合は、ですけどね。

でも、教科書的には白→青→赤となっている。

試験問題とかに出そうな感じ。

手の色の戻り方の話の中でそんなふうに、じぶんのお風呂の中でのじぶんの手の色を思い出しながら主治医に伝えると、

「違うでしょ。白→青→赤でしょ」

と、言われました。

「そうだったっけな?」とじぶんの記憶違いかな、と思ったと同時に、じぶんの体験を否定されたような感じがして、少しだけ悲しかった気がします。

知識があることで、寄り添えないこと、目の前にいるひとをそのまま見れなくなってしまうことはよくあることだと思います。

上野暢子先生の「いっぺん死んでみるワークショップ」を受けたとき、

『できるだけ長く生きていたい、というがん末期の患者さんの心臓マッサージをすることは延命ではないんですよ』

という話を聞いて、たしかに、と頭をガツンと殴られたような感じがしました。

●高齢者は自然に亡くなるのが良い。

●がん末期の人に心臓マッサージや人工呼吸器はしない。

たくさんの知識を身につけた、専門職と呼ばれる立場からしてみると、そしてその世界にいると、それがあたりまえの価値観であるかのように感じてしまいます。

でも、専門職から見たら「症例のひとつ」のように見えるかもしれないけれど、ご本人やそのご家族からしたら、たったひとりの大事なひとで、たった一度の人生なんです。

がんの末期の人や死にそうな高齢者に積極的に心臓マッサージをしようと勧めているわけではないし、むしろしたくはないなというのが本音です。

でも、どんなふうに生きたいのか、どんなふうに死にたいのか、はひとによって全然ちがう。

にもかかわらず、知識やその世界での常識みたいなものがあるせいで、目の前のひとに寄り添えないこと、目の前のひとのそのままを見ようとすることができなくなることがある。

それって専門職と呼ばれる、プロフェッショナルならきっと、誰でも、ある。

だからこそ、知識やその世界の常識が、メガネを曇らせてしまうことがあるんだっていうことをちゃんと知っておくってことが大事なんですよね。

知識があるが故に、寄り添えない。

よくやってしまいます。

でも、それをちゃんと自覚して、知識はしっかり身につけても、常識というメガネは自由にかけたり外したりできるじぶんでありたいと、思ったのでした。

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