「チャレンジしてみる?」
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病気になっても自分らしくを予祝で叶える看護師、えりつぃんです。
祖父の肺がんをきっかけに、ホスピスと余命わずかなのに自分らしく生きている患者さんたちがいることを知り、
\ 病気になっても自分らしく生きていくのをサポートしたい /
という想いで活動しています。
そんなわたし自身、実は2018年にSLE(全身性エリテマトーデス)という自己免疫疾患になりました。
心理を学び、
あんなに自分にむきあってきたのに、
じぶんを攻撃する病気になるなんて・・・
と思いはしましたが、
もっと自分らしく生きていいよってことだなって、超絶ポジティブに解釈し、
SLEを、じぶんらしく生きるための伴走者だな、とおもっています。
SLE発症から5年、再燃することなく絶対ダメだったはずの夏フェスにまで行けるまでになったのですが、薬の量はある一定ラインから、まったく変わることはありませんでした。
先生に何度か聞いても「ダメ」
そんな、鉄壁だとおもっていたプレドニンの量が、
ついに5mgから4mgに減らしてもらうことができたのです!
難病でも治るんじゃない?
「SLEになったら10年くらいで透析になる人多いよ」
看護師になって20年近く働いてはいたものの、じぶんの病気の患者さんを看る科に配属されたことが一度もなく、どんな病気なのかあまりわかっていませんでした。
医療系の知人の、こんなことばに、不安になったりもしたのですが、
精密検査週間と、3日間の点滴期間を終えると、
採血と食事以外することのない入院生活のなかで、
怒涛の検索タイムを過ごしていました。
ぶっちゃけ、教科書的知識なんて、リアルになんの役にも立たないんですよね。
この数値がどうこうで、
日光が再燃や発症のきっかけとなることがある・・・
・・・で?
だから、どうすればいいの?
調べたところで、実生活に役に立たない知識よりも、
患者さんたちのリアルな暮らしの方が参考になることが多いことは、
2年前から発症していた、もうひとつの「自己免疫性肝炎」の時から
感じていたことでした。
もちろん、怖い情報が出てくることもある。
けど。
「なんとかなる」
そう思っていたわたしが見つけたのは、
寝たきりだったり目が見えなかったりしたところから、
薬もいらなくなるほどふつうに生活できるようになっている、
難病を克服した患者さんたちでした。
鉄壁を壊したものは
西洋医学では「原因不明で治らない病気」とされているこの病気も、
東洋医学では、そういうわけでもなさそうだってことも、
調べていく中で感じていたことでした。
漢方で整えることもできる。
大丈夫だろうな。
そう思えるようにもなっていました。
ただ、退院直後は、まだまだ薬の調整中でもありました。
退院直前には、薬の影響で、カリウムの数値が上がっていたのです。
先生たちが心電図の機械を持ってきたときには、「なにごと?」とおもったけれど、採血の結果を見て、驚愕。
カリウムが高いと、心臓がとてつもない不整脈を起こしかねないのです。
結局、カリウムを下げる飲み薬を処方されての退院となったわたしは、
ちゃんと生きていけるかどうかさえも不安でいっぱいでした。
その後も、プレドニンという飲み薬の影響で、
血圧が高くなったり、
ムーンフェイスといって、顔が満月のようにパンパンになったり、と
不安や恐怖と隣合わせで暮らしていくこととなったのでした。
プレドニンの量も少しずつ下げていき、
量が少なくなると、副作用も徐々に落ち着いてきました。
そして、プレドニンの量が5mgになって、けっこうな時間が経過しました。
「そろそろ、プレドニン下げられないのかな」
そう思って聞いてはみるものの、
「うーん、これが維持量だね」
と軽く終了。
自己免疫性肝炎を診てくれている、消化器内科の先生からも、
「下げてみるのはかがでしょうか?」
と打診してくれたけど、
「下げません」
以上。
発症当時から診察してくれている先生で、とても信頼はしているのだけど、
この先生だとプレドニンをこれ以上下げてはもらえないのかも。
そんなふうに思うようになっていました。
ところが、
オンラインSLE交流会、膠原病交流会をするようになって、
当時希望の光を挿してくれた、難病克服ガールズのくみねー♪さんが
ゲストに来てくれることが決まったのです。
薬の減量すらあきらめかけていたわたしの中に、
「やっぱり薬減らしたい」
そんな思いが湧き上がってきたのです。
叶わなかったら嫌だからしなかった予祝
「こんなことが起きたらいいな」
「こうなるって予祝しよう」
そんなふうに、願いを意識して感情を先に味わっておくことが
習慣になりつつある、今日この頃。
「え、これも叶った!」
「あれも、叶った! えーーーーっすごい!!!」
そんな、奇跡体験を積み重ねている中で、受診当日できなかった予祝がありました。
それが
「プレドニンが減量になりました!」
これ言って、叶わなかったら嫌だな。
そう思って、別の予祝をしたのでした。
そうして入った診察室。
消化器内科の先生が、
「5mgなら、肝臓の数値はまったく問題ありませんね。」
と。そして、
「ただ、減らしていくときに、どうなるか、ですね」
と、言ったんです。
この先生は、膠原病内科の主治医に直談判してくれた先生ではありませんが、減らしたいのに減らせないことを知っているはず。
なのに、減らしていくことを視野に入れたようなことを言ってる・・・?
これは、もしや、と、
膠原病内科の先生にダメ元で聞いてみたら
「チャレンジしてみる?」
と言われたのです。
私の中のなにかが変わったら、
鉄壁だと思っていた、プレドニン5mgの壁をあっさり壊すことができたのです。
正直、プレドニン5mgだから寛解したまま過ごせていたのかも、っていう思いはある。
でも、
5年間のなかで、
じぶんの心の整えかたも、
栄養の選びかたも、
からだの整えかたも、なんとなくわかってきた。
そこに、ヨガや予祝メソッドをとり入れたら、大丈夫でしょ。
ようやく伴走者を外すときがきた。
これからは、わたしが、わたしを守ってあげる。
死ぬまで一緒にいるのは、他でもない、じぶん自身なんだから。
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