「・・・そんな仕事、ない。」
なりたかった看護師として働きはじめた20年近く前のことでした。
「希望」が「絶望」に変わるまで
「天国にいちばん近い病棟」と呼ばれていたその病棟は、物理的にもいちばん上の階にあり、入院している患者さんもがん患者さんが多くいる、ほんとうに「天国にいちばん近い病棟」だったのです。
「僕のホスピス1200日」という本を読んで、「残された時間を自分らしく生きるのをサポートしたい」と思っていたわたしは、知識も経験もないなりに、患者さんのちからになりたいとない知恵を振り絞って奮闘していました。
だけど、その日に受け持つ患者さんはひとりなわけもなく、要領の悪いわたしは、その日受け持った患者さんをまわっていくことで精一杯だったのです。
ーーー患者さんのちからになりたいと思ってなったのに、これじゃ全然やりたいことができない。
看護師として働きはじめてから、そう思うまで、そんなに時間はかかりませんでした。
だけど、患者さんが自分らしく生きるのをサポートしたり、寄り添ったりする仕事はなにか、考えても、皆目検討もつかず、なりたいものになったはずなのに、真っ暗なトンネルのなかにいるような感じでした。
そもそも、患者さんのはなしを聞いたり、寄り添ったりする職業ってなんだろう。
チャプレン?
牧師さん?
カウンセラー?
どれを考えてみても、突然あらわれた人物に、こころの奥深くの悩みやつらさを吐き出せるとは到底思えなかったし、だったら、毎日顔を合わせる看護師としていたほうが寄り添えるんじゃないか、とも思ったのです。
「自分らしく生きる」ひとたち
そもそも、看護師になりたいと思った理由はとてつもなく単純で、当時放送されていたドラマ「ナースのお仕事」が楽しそうだったから、というものでした。
「あーさーくーらーーーー!!!」
「せんぱーーーーい!泣」
失敗する主人公の朝倉いずみが指導者である先輩に泣きついたり怒られたりするシーンがお決まりのドラマで、こんな世界だと思ったわけではないけれど、看護師を目指すきっかけとなったのでした。
そしてその頃、祖父が肺がん末期で亡くなったのでした。
その時に読んだのが「僕のホスピス1200日」という山崎章朗先生の本でした。
その本の中には、残された時間が短いにも関わらず、妻との時間を過ごしたり、趣味の作品を完成させたりと、
自分が大切にしたいものを大切にしながら過ごしている姿が、とても輝いて見えたのです。
・・・わたしも、こんなふうに自分らしく生きるのを支えたい。
これがわたしの原点でした。
自分らしく生きている姿を見て、支えたいと思ったのはもちろんだけど、自分らしく生きているところにひかれたのは、わたし自身が自分らしく生きたいと思っていたからだったんです。
じぶんと向き合う
「本当はこれがしたいんだけどな・・・」
「本当はこっちがいいんだけどな・・・」
小さい頃から、なんとなく居心地の悪さを感じていて、親の顔色を伺ったり、自分のきもちより場が丸くおさまることを大事にしてきたおかげで、
こころの中で、
「ほんとうは・・・がいいんだけどな」
と、言えない本音を言うのが口ぐせのようになっていました。
自分のことが好きになれなくて、自信がなくて、いつも誰かの影に隠れて生きてきたわたしは、必要以上にがんばったり、ひとといると緊張したりと、ずっと生きづらさを感じていました。
2012年、10月。
そんなわたしに転機が訪れます。
それは、テレビで心屋仁之助さんが公開カウンセリングをしているのを見たことです。
それを見て、おもったのです。
・・・わたしの中に、なにかあるのかも。
生きづらいと感じていた原因も、恋愛がうまくいかないのも、わたしの中になにかあるのかもしれない。
そうおもったのです。
そこから、ワークショップや心理を学んだり、カウンセリングを受けたりして、じぶんと向き合うということを始めました。
思い当たることはありすぎるのに、なかなか本音にたどり着けなくて、もどかしい思いをたくさんしました。
でも、すこしずつ、すこしずつ、向き合っていくと、長年身に纏ってきた「怖い」という感情がほんのすこしずつ緩んでいくのを感じました。
カチカチに固まっていたものがゆるむと、溶け出したこころの奥にあった「自分らしく生きるのを支えたい」という気持ちが顔を出したのです。
それでも、そのやわらかい形にならない想いはあるものの、両手で持つとまた溶けてしまうような、そこにあるのに触れられない、そんな感じで生きたい未来への扉はなかなか目の前にあらわれてはくれませんでした。
人生をリセットした、その先に
そんな中、全身性エリテマトーデスという難病を発症したのでした。
その頃のわたしは、進んではみるものの違和感はあるしうまくいかないし、で、貯金も底をつきそうになっていました。
「人生のリセットの時期なのかもしれない」
そんなふうに感じていました。
そこから、もう一度自分と向きあい、何度も何度も自分の想いを確かめていくうちにようやくその扉が姿を現したのです。
「病気になっても、自分らしく生きるのをサポートしたい」
それこそが、20年近く、いやもっと前にわたしがやりたいと思ったことだったんです。
自分に向き合い、罪悪感を手放し、自分らしくあることに許可を出していった結果、ようやく見つけたのは、どんなに触れたくても触れることができなかった、あのときの想いが色や形がしっかり見えた、「生きたい未来への扉」だったのです。
どんなふうにしたらいいのか、それが仕事になるのか、どんなやり方があるのか、それを形にしているひとがどこにもいなくて、見えなかった、あの時の未来が、今ここに目の前にそこにつながる扉としてあらわれたのです。
今ならその扉を開けられる気がする。
そして、その先の未来は叶うような気がする。
だって、ようやくあの時思い描いていた場所が、くっきりと見えるようになったのだから。
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