昨日はひさしぶりに、プチ放浪に出てきました。
とはいえ、県内の行きたい場所がかなり離れているからそれぞれの行きたい場所をめざして車を飛ばしただけなのですが。
それでも誰かと一緒だと、「一緒に楽しめるかどうか」「退屈だと思ってないか」と気にして、ほんとの本音をしまいこんでしまうタイプなので、すべての行動の基準を『わたしが楽しいかどうか』『わたしが行きたいか』で選べた時間は、とっても気持ちが晴れたし、ひさしぶりに心から夢中になった満たされた時間を過ごせました。
ケアするひとはすこしずつ、すり減っている。
ここでいう『ケアするひと』というのは、介護士さんや看護師など仕事として誰かをケアするひと、という意味なのですが、そういう職業じゃなくても、おかあさんだったり、お姑さんや親を介護していたりするようなひとたちももちろん含まれるとおもっています。
ケアするひと、は、誰かにたいしての役割を演じなくちゃいけなくて、そういう意味では、『おかあさん』や『介護士さん』などの鎧を着て過ごしているわけです。
感情にまかせて怒りをぶつけるわけにはいかないし、ほんとうのじぶんが興味あることだけを話すわけにもいきません。腹が立ってもぐっとがまんしなくちゃいけないこともあるし、じぶんを置き去りにせざるを得ないんですよね。
そうしていると、すこしずつ、すこしずつ、『ほんとうのじぶん』がすり減ってしまうんだと思うんです。
仕事だからしょうがない。
たくさん勉強してきたからこそ、仕方がないものなんだって言い聞かせて、こんなときはどうしたらいいんだっけ?どういうことばを使うといいかな?
あたまのなかで、かんがえてかんがえて、ケアする相手に向かい合うんですよね。
じぶんのこころの声は、必死になって抑え込むんです。
すると、どうなるか。
こころの声が聞こえなくなってしまうんです。
しごとや、役割上、そうするしかなかった。
一生懸命やっているからこそ、じぶんのこころの声を抑える必要があった。
でも、そうするとじぶんの本音がわからなくなってしまうんです。
じぶんを取り戻す時間の重要性
だから、ケアするひとは、ケアされる必要があるんです。
『ケアされる』だから、ほんとうは、マッサージやトリートメントみたいにケアをしてもらうことってとっても大切。
じぶんを大切に扱ってもらえる体験が、じぶんを満たしてくれて、そして、それを仕事にも、日常にも活かしていけるんです。
だけど、ケアされること以外でも、とても重要なことが、『じぶんを取り戻す時間』です。
誰かを優先して、じぶんを二の次にする時間が長いわたしたちは、他の誰でもなくわたしをいちばん大切にして、最優先に楽しませる時間を持つって、ほんとうに大切です。
他の誰かではなく、わたし。
わたしが楽しいもの、好きなものに触れる、満たされる時間。
そんな時間でこころが満たされて、また、じぶんのこころの声も戻ってきます。
毎日少しずつでも、週に1回でも、じぶんだけの時間を過ごして、ケアされる体験もして、じぶんを満たしていくことで、あしたのケアが豊かになっていくはずです。
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