「余命3か月です。」
は? そんなこと急に言われても、意味がわからない。
なんで私がそんなことにならなきゃいけないの?
なにか悪いことでもした?
ショックで目の前が真っ白になるのか、突然現れた状況がうまく飲み込めずに怒りが込み上げてきたり、いろんな感情に飲み込まれるかもしれません。
そんな中で、心はいくつかの変化をしていくと言われています。
それが、エリザベス・キューブラ・ロスという方が言われている「死の5段階」と言われるものです。
「いや、何かの間違いでしょ」という「否認」
「なんで私がこんな目に合わなきゃいけないの?」という「怒り」
「神様、なんでもしますから助けてください」という「取り引き」
もう何も考えたくなくなる「抑うつ」
そして
「自分は死んでいくんだなぁ」という「受容」
で、こんなきれいな順番に辿っていくわけじゃなくて、抑うつになったあとに怒りが込み上げてきたりと、それぞれの段階を揺らぎながら経ていくとも言われています。
そんなふうに心の状態は変化していくと言われているのですが、人生が終わりに近づいたときに感じる痛みと言われているのが、4つあります。
それが、
からだの痛みと、こころの痛み、そして、社会的な痛み、もうひとつがスピリチュアルペインと言われているものです。
からだやこころの痛みはなんとなく想像がつくんじゃないかなって思います。
病気があるとその病気自体からの痛みや、治療や検査での痛みや苦しさがありますよね。健康なときに受ける胃カメラでさえ、あんなにおえおえ吐きそうになって、この世の終わりかとおもうのに、ただでさえからだのどこかに不調を抱えている状態で受ける検査は、この上なくつらいです。
そして、病気になると、今までできていた仕事が、今までと同じようにできなくなったり、続けられなくなることで、金銭的につらくなったりすることも出てくるかもしれません。
入院することで、お母さんとして子どもたちと接することができなくなったり、家族と離れたりすることも、社会的痛みとして挙げられます。
そんななかで、いちばんつらいのに、いちばんケアされにくいと思うのが、スピリチュアルペインです。
スピリチュアルペインというのは、日本語に翻訳するとなかなか難しく、そのまま英語でスピリチュアルペインといわれることが多いです。
スピリチュアルペインってなにかというと、
・治らないのに、なんのために生きてるんだろう。
・なんのために生まれてきたんだろう。
・死んだらどうなるんだろう?
・わたしの人生の意味ってなんだったんだろう。
というような、答えのない、痛みや苦しみです。
でも、実はこれって、死が目の前になくてもほんとうはこころの奥底に眠っているものじゃないのかなって思うんです。
だってアンパンマンだって歌っていますよね。
なんのために生まれて なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ!
みんな、そんなおもいをこころの奥底に持っている。
それに、「じぶんはこれをして生きたいんだ」ってことに気づくのに、
病気にならなくたって気づくことはできるんです。
もちろん病気になってからだって、全然遅くはないんですけど。
でも、それに蓋をして、気を紛らわせているだけだと、いつまでも満たされないなにかを探している毎日のような気もします。
これだっていうものがあってもなくてもいいんですけど、明日死んでも後悔しないためのじぶんにとっての大切ななにかがあると、最後の一呼吸をするときに、
「わたしの人生、よくやったな」
って、おもえるような気がするんですよね。
たぶん、死んだあとにもう一回やり直したいんですって言って、もう一度じゃあここからね、ってリスタートすることってできないとおもうので、できたら、今生きてるうちに、わたしの人生これを大切にしたいなっていうものを見つけられるといいなって思ったりしています。
コメント