MENU

からだのケアが心にとって大切な理由

ヨガをしていて涙が出た、というはなしはよく聞く。

鬱々としていたときにヨガに行ってみたら、涙が出てきた、という体験談。

このポーズをしている時に、泣くひともいる、という話。

わたし自身は、あるポーズで涙が出る、という経験はないのですが、忙しいときや緊張しているとき、いつも以上にからだが硬くなっているのを感じます。

目次

感情は筋肉に記憶される。

がんばり族の長女系女子のみなさんは、もしかしたらマッサージにさえも行かないのかもしれないのですが、わたしはよく行ってました。

すぐに疲れてしまって、マッサージに行っては体をほぐしてもらっていました。

「硬いですねー」

なんて言われると、がんばってるのを認めてもらえてるような錯覚を起こし、褒めてもらえてるという妄想をして満足していたおバカちゃんです。

マッサージってなんですかね。

硬いですね、とか、凝ってますね、って言われると、そうでしょ、そうでしょ、とからだに良くないことなのにうれしくなってしまうのは。

がんばって働いたお金でマッサージに行って、またがんばって働いていましたが。

今では、ほぐしのボールを使って毎日のようにからだをほぐしています。

最近、気がついたのですが、疲れているときや緊張しているとき、もちろん、がんばっているときって、からだがすごく硬くなってるんですよね。

そんなの当たり前なんですけど。

そういうふうに、気を張って、緊張して、がんばって、疲れているときって・・・

感情が動かなくなるんですよね。

そうなんです。

感情が動かなくなっている自覚はなくて、感情が動かないな、というよりも、わたしの場合は、

「ブログに書きたいと思えることがない」

という、ブログネタ枯渇問題に直面しておりました。

それ、疲れの問題かよ、と突っ込まれそうですが。

日常に起きているできごとや感じたことをきっかけにして、どういうふうに文章にしようか考えるのですが、多忙すぎて感情が動かないんです。

すると、何を書いたらいいかわからない。

からだをほぐしているうちに、心が緩んで、いろいろ思い出してきたり、そういえば・・・とあたまの中が緩んできたりするのを感じるんです。

心理セラピーの世界では、感情は筋肉に記憶される、と言います。

トラウマになるような出来事は、感じてしまうと辛すぎるので、筋肉にぎゅっと閉じ込めて、感じないようにするんです。

そうすることで、そのできごとからじぶんを守ろうとするんですね。

日常でも感情はロックされている。

戦地から戻ってきた兵士や、虐待を受けていたこども、災害にあった後など、何かのきっかけにそのできごとがフラッシュバックしたりするPTSD、というのはよく知られていると思います。

PTSD、とまではいかなくても、日常でぎゅっと力を入れて、感情を閉じ込めることはあるとおもいます。

仕事で失敗してしまったときとか、次に似たような場面になるとその時の感情が蘇ってきて急に怖くなったりすることってありませんか?

鍵をかけるのを忘れて家を出てしまったことがあって、そのできごとがあってから、家に鍵をかけたかどうか心配になってしまう、というようなこと。

そういう些細な感情をロックしたり、がんばっていることで緊張をからだに溜め込んでしまったり。

日常の中でも、すこしずつすこしずつ体の中に、感情が溜まっていくことってあると思うんです。

怖い、の感情は体を硬くしてしまうし、

怒りの感情は、じぶんのからだを攻撃します。

感情は感じて流していくもの。

安全に放散させることが大切です。

そのための一歩として、体をほぐすってとっても大切だと実感しました。

ストレッチでもいいとおもうし、ほぐしのボールを使ってもいい。

陰ヨガでももちろんOKだと思います。

あとは、運動でもいいと思います。

しっかり汗を流した方が発散できると思うけど、仕事から帰ってヘトヘトだったり、街灯もないほどの田舎で真っ暗な中歩きにいくのは、いろんな意味で危険。

じぶんにあった方法で、発散させたり、からだをほぐしたりすることは、自分を大切にすることにつながります。

からだとこころはつながっています。

からだのケアを丁寧にすることで、心のケアにもつながる。

丁寧にじぶんのケアをしていきたいですね。

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次
閉じる