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お姉ちゃんという呪縛からの解放

「家族でいるより、友達といる方が楽しい」

小学生の頃、なんとなくそう思っていた自分を思い出す。

おでかけのときは、

たいてい、おともだち家族とでかけていたし、

学校のともだちと過ごす時間が大好きだった。

「お姉ちゃんなんだから」

と言われた記憶はあまりないのに

お姉ちゃんということばにからだが拒絶反応を示していた。

目次

「お姉ちゃん」という呪縛のはじまり

「病気でも自分らしく」を予祝で叶える看護師、えりつぃんです。

長女でいい子でがまんして生きづらかったけど、

少しずつじぶんを解放して、人生を楽しめるようになりました。

「お姉ちゃんなんだから」

なんて言われた記憶はあまりないのに、

「お姉ちゃん」ということばがほんとうに嫌いだったんですよね。

なんでだろう、ってずっと思っていて。

そして、最近ようやくわかったことがあったんです。

それは、

「家族を守りたかった」

ってことなんです。

父は仕事で朝は早く、夜は遅い。

父と母と、アトピーのわたしと弟の4人家族で暮らしていて、

母は、アトピーのわたしたちに良いものを食べさせたり、アトピーを治そうと必死。

母は、ワンオペ以上に、アトピーの治療とケアという仕事を担うことになったのです。

めんたいこが乗ったご飯を

「お父さんが帰ってきたら、ピンクのご飯ってびっくりするね♪」

とうれしくて言いながら見たお母さんは、

頬杖をついてため息をついていたのでした。

小学生になると、家族で交換日記をしよう、と言ったこともありました。

父は家族と積極的に関わるタイプではなく、

母は一生懸命になって過保護過干渉。

「もっと仲良くなりたい」

小学生なりにやってみようとおもった作戦でした。

交換日記は1周もまわることなく終わり、

だんだん、家にいるよりともだちと遊んでる方が楽しいと思うようになりました。

わたしは、

お母さんを笑顔にしたい。

家族が家族でいられるように、守りたい。

そう心の奥底で決めて、

「お姉ちゃんとしてどういれば、家族が成り立つのか。」

を考えるようになっていったんです。

わたしを救ってくれたもの

そうするうちに、

「本当はこうしたいんだけどな」

「本当はわたしも行きたいんだけどな」

という本音は、ひとまず置いておいて、

どうするべきかを最優先に行動するようになったんですよね。

そして、気づいたら、

小さい箱に閉じ込められているような閉塞感と、

手足を縄で縛られているような、身動きのとれない感覚

身にまとうようになっていました。

本音を聞いてあげられない自分が嫌い、で、

お母さんを救えるような自分になれないのが嫌い。

どうすれば喜んでもらえるんだろう。

がんばって、がんばって喜んでもらえたら

わたしは役に立てるんだろうか。

家族を救いたいじぶんと、

その奥で押さえつけられているほんとうのじぶんとの葛藤で、

胸が張り裂けそうになることがよくありました。

そんな閉塞感から、

外の世界への渇望がうまれ、ひとり旅をするようになったことで、

わたしの世界が広がっていったのでした。

宿題をもらった旅

2012年、しばらくぶりに行った宮古島へのひとり旅。

多くのひとの価値観を揺るがした東日本大震災の消えない空気をまとった

いろんなひとに出会い、

しあわせについて、

知らなかった考えかたに触れて、

「さぁ、ここからどうする?」

と、たくさんの宿題を抱えて帰ってくることになったのでした。

宮古島から帰ってきてつけたテレビで見たカウンセリングで、

うまくいかない婚活も恋愛も、

息苦しかった身にまとっていた空気感も、

わたしのなかになにかあるのかも。

そう思うようになったんです。

そこから、じぶんと向き合うようになり、

なかったことにしてきた感情とむきあい、

抱えてきた悲しみや怒りをしっかり味わい、

「ほんとはどうしたいの?」と

何度も何度も問いかけるようになりました。

ときには間違えたり、

ごまかしたりもしながらだけど、

ようやくじぶんを取り戻すことができました。

悲劇を、だからこそ、に変える

たくさん泣いて、たくさん嫌な感情を感じていったのに、

じぶんを攻撃する病気にもなったんですよね。

それが、

自己免疫性肝炎と全身性エリテマトーデス(など)。

「あんなに向き合ったのに、じぶんを攻撃する病気になった」

と、最初はおもったのですが、

「いや、もっとじぶんらしく生きていいよ。生きれるよってことだな」

と、おもうようになり、

今では、家族といてもだいぶマイペースで暮らせるようになりました。

そして、わたしにはひとつ小さい頃に感じた疑問がありました。

それは、

「どうせ死ぬのに、なぜ生まれてきたんだろう?」

ってことでした。

ひとは死ぬ。

ということは、わたしも、死ぬ。

絶対に死ぬって決まってるのに、なんで生まれてきたんだろう。

ずっと出せずにいたその疑問へのこたえを、

最近はこう思うようになってきました。

それは、

人生を楽しんで味わいつくすため。

ってこと。

肉体があるからこそできる、

美しい景色を見たり、

風を感じたり、

大好きな音楽を聴けたり、

波の音が聞けたり、

愛おしいひとの温もりを感じたりすることができる。

魂がこの肉体を離れるとき、

「ああ、ほんとうに楽しかった」

そう思えるように生きていきたい。

そんなふうに思える人生を生きていきたい、とおもうのです。

いつだって、じぶんを救えるのは、じぶんしかいない。

わくわくすること、

気になること、

おもしろそうってセンサーがはたらくもの。

すべて、じぶんのなかから出てくるヒント。

信じてみようとおもう。

信じてほしいとおもう。

まちがっても、失敗しても、その先には光しかないから。

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