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おまもりをもつ。

「もう嫌だ。ほんとうにいや」

40にもなって、職場で泣きたくなるほど辛くなる。

この間もそうだった。

専門職の少ない組織の中で、個々の果たさなければいけない役割が大きい。

死について話し、想うことも多いけど、ふとした瞬間に死への憧れみたいなものがふっと浮かんできてしまうことがあるんです。

責任の重さと、それが続いていること、決めなくちゃいけないこと、調べなくちゃいけないこと、配慮しなくちゃいけないこと、それに加えて日常の業務。

ふだんはやり過ごしているように見せて、このストレスが計り知れないと知ったのは、経験したことのなかった謎の頭痛の多さと、ふとした瞬間に出た涙です。

目次

お風呂で泣く。

できごとに対する怒りとかはないけど、それよりものしかかってくるものの多さに押しつぶされそうになる。

優しいことばも斜めから見てしまって勝手に責任を重くして受け取ってしまったり。

もう嫌だ。

嫌で、嫌で、たまらない。

きっと責任者を務める上司もおなじ気持ちなんだろう。

コストとリスクのバランスをとりながら、何がほんとうに必要なのか、そうじゃないのか、考えながら決めていかなきゃいけないことがたくさんある。

コストの面を放り出して、若干ヤケになって決めていたように見えることもあった。

決めなきゃいけないところに立つひとから見る景色と、ふもとにいるひとの見る景色はぜんぜん違う。

違って当然だし、しかたないともおもう。

でも、見ている景色が違うってことを自覚していないことから出ることばって、必要以上の重荷になるってことも、この場所に立ってみてよくわかったんです。

あの重さ、辛さ、が、またくるのか、そう思うと辛くて辛くてたまらなくなるんです。

じぶんにとってのお守りをもつ。

こんな時には、ミスチルを聴こう。

曲は、「生きろ」。

今年の春、映画の主題歌として作られた新曲は、コロナ禍で閉塞して、苦しくてたまらない日常への気合いみたいなものとして聞こえてきました。

でも、それがだんだん、辛い時に聞くようになって、聞くことでこころの辛さがにじんで流れていくような感覚になるようになりました。

お風呂で「生きろ」を流して、泣く、泣く、泣く。

こどもみたいに泣いて、泣くことをじぶんに許してあげる。

泣いてもいい。

弱音を吐いてもいい。

辛いって言ってもいい。

強くなくてもいい。

おとなだって、泣いてもいい。

いくつかの曲を流しているうちに、脳内桜井さんがうたう。

僕らはきっと試されてる どれくらいの強さで

明日を信じていけるのかを たぶんそうだよ

worldsend/Mr.children

そうだ。

試されてる。

明日を信じられるのかどうかを。

困難な状況にあっても、明るい未来を信じられる?

そうおもうとまた泣けてきて、そして、泣いてる場合じゃない、と立ち上がる。

何度このことばに救われてきたんだろう、とおもう。

鬱々としたまいにちがずっと続いているわけではないけど、壁のようにおもえるものが立ちはだかることはたくさんある。

投げ出したくなることもたくさんある。

実際に、押しつぶされそうになって投げ出したこともたくさんある。

でも、ぜんぶをリセットしないで、なんとか今生きているのは、こんなふうなことばが支えとなっていることは間違いない。

暗くて、辛くて、前が見えなくて、光なんかちっとも見えなくて、それでも前に進んでみようよって、そばにいて寄り添ってくれることばのおかげで、今、こうしていられている。

わたしにとって、だいすきな音楽は、人生のおまもりなのだ。

そして、光が見えてきた。

目が腫れるほど泣いて、頭が重くて痛い。

それでも、前を向こう。

そんなふうにおもえるようになった時、一通のメールがきていた。

当選しました。

エントリーしていた、ライブのチケットの当選の連絡でした。

新幹線に乗るのは抵抗があって、我慢したスタジアムのライブ。

行けばよかった、とほんとうに思った。

行きたかった。

コロナじゃなければ行っていた。

行きたかった。

「コロナだから行けない、じゃなくてどうやったら行けるかなって考えた方がいいよね」

自由に動いているように見えるひとたちの言葉は強い。

どうしたらできるかを考える。

リスクはゼロになんてできないんだし。

ライブへ行こう。

そうおもってエントリーしたライブ。

春には会える。

席は遠いかもしれないし、見えにくいかもしれないけど、ライブに行ける。

現実はまだまだ続くかもしれないけど、おまもりを持って、光を頼りに、進んでいくのだ。

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