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あなたは誰かの大切なひと

ひさびさに深夜勤務をした感じでした。

40歳までに夜勤のないはたらきかたをしたい、そうおもうようになって、意外とあっさりその願いは叶っちゃってびっくりしています。
夜勤をやめて早4年。
やっぱり夜にちゃんと寝るってからだにとって、ほんとうにだいじなんだなぁと感じています。

とはいえ、施設ではたらくようになってからは、『待機』という名の電話当番があります。

『待機』とは、夜間施設で暮らす利用者さんたちの様子がおかしいときに介護士さんから電話があって、それに答える仕事です。

はたらき始めて1か月たたないうちにその『待機』をさせられて、いやいや利用者さんの全員の状態だってわかってないし、ここの施設のやりかただっていまいちよくわからないのに、できるわけないじゃん、とドン引きしましたが、まあなんとかやれています。

『看取り』といって、施設で亡くなる方のお世話もしているので、「今日はあやしいな」という日には夜中に電話がかかってきて出かけることもあるそうです。
「あるそうです」というくらい、わたしはそういう機会にあたることがなかったんです。1年以上たってようやく明け方の5時に亡くなる方はいたのですが、真夜中に呼び出されることはありませんでした。

それが昨日。

「ちょっと見てもらえませんか・・・」

日付が変わろうとする頃、何度も何度も連絡があって、その都度ケアの方法や対応についてお伝えしていたのですが、どうも症状がまったく落ち着かないみたいで、いつもしっかりしていてちゃんと見てくれる介護士さんが言うそのことばに、いそいで準備して向かいました。

100歳を目の前にした利用者さんの状態の変化に、どう対応すべきか迷うところもありました。ご家族はなにかあったら病院へ連れて行ってほしいということを言われていたため、念の為状態の報告と、もういちどご意向を確認すると、やはり病院へ行ってほしいとのことでした。

うちの施設では、医師がいつもいるわけではないので医師への診察をお願いすることができません。それで、受診を希望されている病院へ相談し、今の状態なら朝また受診するのでいいんじゃないか、という言葉をいただき、その旨をご家族にお伝えしました。

病院の先生にお伝えしてもらうまでの間に病院の看護師さんが状態を聞いてくれたのですが、年齢を聞いて「その年で病院に連れてきてどうするの?」みたいな空気をどうしても感じてしまいました。

ううん。

病院に来てもどこまでの治療を希望するかでできることもかなり変わってくるし、さらに高齢であればあるほどできることが少なくなっていくということもあって、病院側の感覚ももちろんわかります。

だけど、家族にしてみたら、なにかあったらやっぱり治療できるならしてほしいと思うものなんですよね。

ご本人は、声をかけても目があくことも少ないし、もちろん目が合うこともなく、うなづくこともないんです。
その状態でも延命するの? なにかあったら搬送するの?
って、むずかしい問題ですよね。

ご家族は妹さんが車で1時間くらいの場所に住んでいて、もちろん車がないので、月に何度か食事介助に来ていたくらい熱心にお世話されていました。だから大切に思われてるきもちはとても伝わってきてました。

結果、明け方にまた状態が悪くなって救急搬送して病院で検査してもらうことになりました。

そういうわけで、わたしはひさしぶりに2時間睡眠で昼まではたらいて、深夜勤務をした感覚になった感じでした。

だけど、ケアする側の感覚って、慣れてしまうとそのひとのことを『誰かの大切なひと』だということを忘れてしまうような気がします。もちろんわたしも、です。

おなじようなひとをたくさん見てきたから、統計的に「○歳、女性(or男性)、既往歴は△◆で、・・・」という記号からのアセスメントをして、こういうひとだとあとどれくらい生きるかとかどれくらいの治療が可能かなとか、考えながら仕事をしていきます。

もちろん、そのアセスメントは大切で、どれだけ正確にアセスメントできるかで、その方にしてさしあげることが増えるか減るか大きく変わってきます。

だけど、そうじゃない部分で、どんなふうに生きてきて、誰からどんなふうに思われていて、どれだけ唯一無二の存在であるか、ということを忘れがちであるとも思うんですよね。

タイトルにした「あなたは誰かの大切な人」は、原田マハさんの小説のタイトルですが、わたしたちが毎日、毎日接する利用者さんも「誰かの大切な人」なんです。

100歳近くて、コミュニケーションもとれなくて、・・・なんていう方にどれだけの医療の必要性があるかなんて、車がなくても1時間かけてもお世話しにやってきたいとおもうほど大切に想っている家族からしたら、関係のないことなんですよね。

だからといって、家族の望む治療をなんでもするべきだとは思わないですが、だからこそ、そういう家族の切実な想いに寄り添う感覚をちゃんと持っていたいなと思った1日でした。

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