恋をしてしまった。
何年ぶりだろう。
会いたい。会いたい。会いたい。早く会いたい。また会いたい。
その時間は夢中になっていて、新鮮な空気と白くて明るい見晴らしがいい世界が広がっている。
そんな感覚が心地よくて、いつまでもここにいたい。
そんな感じでした。
「喜嶋先生の静かな世界」
「森博嗣さんのエッセイはおもしろい」
SNSで出会ったそんなことばが、なんとなく心にひっかかっていました。
本は好きだけど、エッセイはちょっと苦手。おもしろいと言われるエッセイも、挫折してしまうことも多い。
にも関わらず、森博嗣さんのエッセイはおもしろいんだ・・・。読んでみたい、とまでは思っていないけれど少し気になる、そんな感じで残っていました。
その出会いは本屋さんでした。
「森博嗣」の棚を探していたわけじゃない。
「何かおもしろそうなのないかな」
スマホの中でしか見ることのない本たちを、この手で触れることができる体験。
それがうれしくて、本屋さんの中を夢中で散策しているときでした。
「喜嶋先生の静かな世界/森博嗣」
白くてシンプルな装丁と、
「気持ちが疲れているとき、人生に迷っているとき、心を整えてくれる小説。これまでも、これからも、何度も読み返す本です」
そんな帯のことばに魅かれて自然と手にとっていました。
気持ちが疲れていたのかもしれません。
しごとが嫌で嫌でたまらなかった。
行きたくない。行きたくない。
またわたし? 一人に押し付けないでよ。
もう嫌だ。なんで? ここまできてやり直し?
泣きそうになりながらも、馬車馬みたいな感覚になる日々。
「癒されたい」
そうおもったのが本音だったかもしれません。
でも、その帯をはずして表紙にある扉を開くと、
すきなものに対して、まっすぐで、純粋で、それだけで満たされる幸福な世界が広がっていたんです。
組織というもの。
「介護好きなんですよ! 介護職に戻りたい」
偶然、ふたりきりになった介護職から配置換えで職種が変わった方と話す機会がありました。
ほんの少しだけ一緒にはたらいたことがある人で、仕事っぷりを見ていると介護のしごとが好きなのがよくわかりました。
忙しそうにしているけれど、でもそれは、いろんな人への目配り、気配りから来ているものだってことが、その動きからよくわかるんです。
声をかけるときにしゃがんで目線を合わせて話す、とか、動き出しそうな人を察知してこけないように軽く支えながら見守る、とか。
単に「業務」としてこなしている人とは、その動き方は違うんです。
そんな人と話していて、本人の口から介護職が好き、と聞くと、やっぱりすごくうれしくなるわけです。
だって、わたしも看護がだいすきだから。
施設ではたらくと、「看護している」感覚は正直、薄い。
でも、入居者さんに触れているとき、本当にたまにだけど、院部洗浄をしている時、幸せだなぁって満ち溢れるものがあるんです。
院部洗浄で感じるしあわせ、ってどんなだ。
だから、こうしてあげたい、ああしてあげたい、そんな気持ちはたくさんあります。
でも、施設で主に動くのは介護士さんたち。
看護の視点でこうしてあげたらもっと良くなるのに、もっと楽になるのに、もっとこの人らしい生活ができるのに、もっと・・・
と思っても、できないことも多いんです。
そんな中、介護が好き、とちゃんと言える人がいる。
仕事が好きだと言ってくれる人がいる。
彼女とは、こうしてあげたらいいよね、ああしてあげたいよね、というような話をずっと話して盛り上がりました。
彼女と一緒に働きたい。
そう思って、ちょっと言ってみたこともありました。
でも、組織の中での人事としては、人を育てていく視点や組織の中でどう動かすのかなど考えるとそう簡単にはいかない様子でした。
組織ってむずかしいな。
純粋に好きなことを突き詰めていくって社会で生きていくには簡単なことじゃないみたいです。
今だって、感染委員なんかしたくない。
感染よりももっと、傷の処置やいいケアがあるはず、とかそういうことを学んでいきたい。
病院に行くのか行かないのかだけじゃない、より良い最期を迎えるためのケアや教育やそういうことだってしていきたい。
でも、今任されている感染の仕事だって、大事なことはわかっています。
だから、好きなこと・やりたいことだけに多くの時間を割けないんです。
そんな時だからこそ、喜嶋先生は、わたしの中の純粋な部分に光を当ててくれたような気がしています。
仕事が嫌で、毎日やることが多くて、自分を見失ってしまいそうなあなたへ。
きっと目の前を明るくしてくれるような気がしています。
「喜嶋先生の静かな世界」ぜひ、覗いてみてほしいなと思います。
コメント