年末に、生まれてはじめて肋骨折ったのかもしれない痛みを感じ、肋骨折るほどよわよわな女子だったのかと、じぶんでじぶんを守りたくなったumiです、こんばんは。
そして、テレビでものすごーーーーく太ったひとが、ゴルフをしてひねった瞬間肋骨を折ったというエピソードを聞いて、肋骨を折ったかもしれないことは二度と言うまいとたった今誓いました。言うのならせめてダイエットしてから言おう。
おかげさまで肋骨の痛みもやわらぎ、笑ったときとくしゃみをするために半径1メートルの空気を一気に吸い込む瞬間の痛み以外はふつうに日常生活を過ごせるようになりました。
思いの外充実した年末年始を過ごし、あこがれの完全なる寝正月は過ごせなかったんですが、(わたしのあこがれの寝正月は、食べて、本を読んで、映画を観て、おやつを食べて、窓の外を見てぼーっとする。そんななにもしない怠惰な時間を過ごしたい)念願のやりたいことが叶ったおかげで、なかなか幸先のいい1年のはじまりを過ごしています。
年末年始のおたのしみとして買っておいた益田ミリさん。
「自分を好きな自分でいたい」
「こうなりたい自分の未来はある?」と聞かれた姉ちゃんが迷わず言ったことばで、これは買わねば!と心臓射抜かれました。
「常に叶えられておるが」
「僕の姉ちゃん」はつまり、いつも自分を好きな自分でいられてるんです。
それ、はっきり言えるのすごくないですか?
本当はどうしたいの?
なにが食べたいの?
って自分に向き合って、自分の本音を大切にするようになって、それができていた頃はじぶんのこと好きだなぁと思えるようになっていたんですが、常識とか空気のちからってやっぱり強い。
家族と暮らすようになってから、長女気質が復活し、率先して気をつかい、遠慮したり我慢したり空気読んだりしているうちに、「自分を好きな自分」からはすこし離れた場所にきていました。
もう一度じぶんの心に向き合い、ノートに気持ちを書き出したり、事実と思い込みを分けて、本当はどうしたいんだろう? と本音を探るようにしてみると、だんだん、こころが落ち着くようになりました。
ジャーナリングの効果ってすごい。
自分の捉え方のクセがわかるようになってきたり、書き出すことで、その捉え方を変えることができるようになったり。
過去と他人は変えられない。
だからこそ、どう感じるかを変えられたら、いやな気分もすくなくなっていくんじゃないかと思うんです。
「僕の姉ちゃん」の本質をつくことばと、プッと吹き出しちゃうことば。
どれもがおもしろくて愛おしい。また読みたい。ちょっと笑って、そしてちょっと元気にしてくれる、そんな1冊でした。
シリーズものの1冊目だと思ってたのに、最新版? くらいのものだったらしく、他の本も読んでみたいと思いました。
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